『櫻井翔と戦争の記憶』特集に掲載、戦没した親族の「軍歴」を知る方法
3) 照会に要する時間/回答内容
厚労省社会・援護局 援護・業務課調査資料室の担当者に取材したところ、厚労省への申請件数は月ごとに差があり、8月15日の終戦日前後から10月にかけては多くて月300件ほど、通常は月100件強だという。調査資料室では海軍と陸軍あわせて、資料班の職員約10人体制で対応しており、回答までにかかる時間は最短で1カ月、長くて(現状)3カ月程度。ただし申請件数が激増すると、受付順に処理しているためさらに時間を要する可能性があるという。
照会書類は、士官(将校)、下士官、兵、階級に限らず全ての方についての履歴が残っているわけではなく、全くない人もいるそうだが、残っていれば同じように保管されている。基本的には従軍した年月が長ければ長いほど記載事項(履歴)が多くなり、期間が短ければ少なくなる。また、部隊の異動や乗艦した船舶が多ければ、記載事項も多くなる。階級が上がれば発令日の記載も多くなるという。
厚労省への申請から約2カ月後、筆者の父の元にも「旧海軍の履歴等について(回答)」と題した文書と原表コピーが届き、戦後76年間もこうした記録が保管されていたことに驚いた。これらの資料は、終戦時の旧陸軍省と海軍省から、第一・第二復員省を経て復員庁、1948年には引揚援護庁、1954年には厚生省の内局である引揚援護局となり、旧厚生省に全ての業務が引き継がれたという。
現在の厚労省社会・援護局に至るまで、戦没者一人一人の人事記録が保管されていたというのは遺族にとっては有難い限りである。なお、ある戦史研究者は、生きて帰って来た親族のほうが、入隊時と終戦時の軍歴しか分からないなど、戦没者より調査しづらいこともあるとも言っていた。また陸軍の場合、都道府県によっては兵籍簿を焼却せよという命令を真面目に実行したところもあり、残っていないケースもあるという。
筆者の戦没した親族の墓碑には、戦没時の海軍の階級、戦没年月日と大まかな戦没場所が刻まれていたが、どのような経緯で亡くなったのかは今回調査するまで親族含め誰も知らなかった。だが、厚労省からの「戦没状況について」の回答と、「履歴原表」によって最後の人事発令が判明し、それを基に、どこでどのような作戦に従事中に戦没したのかを知ることができた。
今回の特集にも協力いただいた戦史研究家で海軍兵学校77期生の菅原完氏は、戦死公報だけで遺骨も戻らなかった海軍軍人たちについて調べ、それらの調査結果を『知られざる太平洋戦争秘話~無名戦士たちの隠された史実を探る』(2015年、光人社)と、『無名戦士の戦い~戦死公報から足取りを追う』(2021年、光人新社)として上梓した。
『無名戦士の戦い』のまえがきには、こうある。「戦争がなかったならば、海軍の『カ』の字も知らず別の道を歩んだことであろう若者たちが、希望のある将来を無惨にも断ち切られ、その正確な最期すら肉親には伝わらず、『某月某日、某方面にて戦死』という一片の紙切れで知らされるだけというのは、余りにも残酷といえないだろうか。」
菅原氏は、92歳となる今も戦没者の調査を続けている。2021年、少なくとも「知る」ための手段は残されている。