通州事件、尖閣諸島戦時遭難事件... 昭和史に埋もれていた「事件」に光を当てる
2021年8月6日(金)11時20分
結局、終戦後に彼らは救助されたが、その時にはすでに多くの人命が失われていた。この遭難事件の犠牲者数には諸説あるが、米軍の銃撃から魚釣島で死亡した方々すべてを含めると、延べ100名前後の方々が命を落としたのではないかと推計されている。
昭和44(1969)年、当時の石垣市長らが魚釣島に上陸。「台湾疎開石垣町民遭難者慰霊碑」が建立され、慰霊祭が執り行われた。しかし以降、魚釣島での慰霊祭は、一度も実行されていない。
遺骨収集も進む気配がない。多くの御遺骨は今も島内に取り残されたままである。日本は速やかに遺骨収集を実行すべきである。
それを躊躇する理由など一つもない。
「偉人伝」より「事件簿」
忘れ去られた事件の数々。それらの事件を丁寧に読み解いていくことは、より複眼的な奥行きのある歴史観を育むことに繋がるだろう。歴史は常に多面的に見ていかなければならない。
歴史とは必ずしも「偉人」がつくるものではない。「偉人伝」よりも「事件簿」のほうが重要なのである。
『大東亜戦争の事件簿
――隠された昭和史の真実』
早坂 隆 著
育鵬社
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