女子陸上短距離ジョイナーの「伝説と疑惑の世界記録」は東京で破られる?
Joyner’s Records Could Be Broken in Tokyo, Her Husband Says
ソウル五輪当時はドーピング検査の精度も低く、検体も保存されていないため、当時の記録には疑惑がつきまとう。ジャマイカやアメリカの女子選手が好記録をマークし、東京での記録更新が期待されて、ジョイナーの「不滅の記録」が再び注目されるなかで、くすぶっていた疑惑も再び渦巻き始めた。生前のジョイナーと親しく、今も家族と付き合いのある俳優のホリー・ロビンソン・ピートはそんな雲行きを察して、ツイッターでこう釘を刺した。
「彼女の葬儀の日、私は胸がつぶれる思いだった。どうか彼女の遺族やレガシーを汚すような心ないコメントは慎んで!」
アル・ジョイナーも長年、亡き妻の記録に対する疑問や批判の声に悩まされてきたが、超然とした態度を貫こうと努めてきたと言う。女子のランナーでフロレンスを超える最長記録を保持しているのは、1985年に400mの世界記録をマークした東ドイツのマリタ・コッホと、1983年に800mの記録を樹立したチェコスロバキアのヤルミラ・クラフトフミロバだけだ。いずれも、東欧圏の国々が国家ぐるみでドーピングを行なっていた時期に樹立された記録である。
亡き妻は疑惑に対し「常に超然としていた」と、アル・ジョイナーは言う。「私もそうしようと努めている。彼女は常に品位を失わなかった」ちなみに彼の妹、ジャッキー・ジョイナー・カーシーも陸上七種競技で活躍した伝説的なアスリートだ。
目を剥くようなタイム
アル・ジョイナーは亡き妻のトラックでの活躍と、彼女との忘れがたい思い出を大切にしていると話す。その1つは、ソウル五輪前の予選会で、三段跳びに出場するために準備をしている最中、妻の100mのレースを応援するため、トラックに目をやったときのこと。
忘れもしない7月16日のこの日も、彼女はトレードマークの鮮やかなマニキュアを塗った長い爪、片脚だけロングスパッツになっている蛍光色の紫のウエア姿で、ネオンカラーの疾風のようにトラックを駆け抜けた。ゴールした瞬間、会場がどよめき、アナウンサーは一瞬声を失った。電光掲示板に躍ったのは10秒49。目を剥くようなタイムだ。
妻が成し遂げた歴史的な偉業に、アル・ジョイナーは宙高く飛び上がった。その喜びのジャンプを、自分のレース後に繰り返すことはなかった。1984年のロス五輪で三段跳びの金メダルに輝いた彼は、この大会で敗退し、ソウルでの2連覇はかなわなかった。
自分のことより、妻が出した偉大な記録で「胸がいっぱいだった」と話す。
彼女は五輪本番でも大活躍し、誰も真似できないと言われるような快挙を成し遂げた。ロス五輪の200mでの銀メダルに加え、ソウルではリレー2種目にも出場し、3個の金を含め4個のメダルを獲得したのだ。