女子陸上短距離ジョイナーの「伝説と疑惑の世界記録」は東京で破られる?
Joyner’s Records Could Be Broken in Tokyo, Her Husband Says
世界を熱狂させたフロレンス・ジョイナーはソウル五輪後に引退。1998年、てんかんによる心臓発作で睡眠中に38歳の若さで亡くなった。
「彼女に会えば、誰でもすぐに好きになる」と、亡き妻との間に娘のメアリーがいるアル・ジョイナーは話す。「(今の選手も)彼女の名前は知っているが、当時彼女が巻き起こした衝撃は想像もつかないだろう」
自分のスタイルを貫いた点でも、彼女が与えた影響は大きい。100mの世界新を出した直後のインタビューではこう語っている。「お決まりのやり方に従うのは苦手。自分らしさを大事にしたい。違ったカラーを打ち出したい。支給されるウエアはあまりに標準的で魅力に欠ける」
今のスプリンターは記録で彼女の背中を追うだけでなく、長い爪などトラックでの派手なスタイルも真似している。アメリカのリチャードソン選手は、爆発的なスタートの技でもフロー・ジョーの再来と言われるが、ファッションのセンスも似ている。東京に向けた代表選考会では、炎を思わせるオレンジ色の髪をなびかせて疾走した。だがその後のドーピング検査で、禁止薬物のマリファナの使用が発覚。資格停止となり五輪には出場できなくなった。
それでも、いずれはリチャードソンが100mの記録を塗り替えると期待する声は多い。
妻に「駆けっこ」で負けて
「リチャードソンと(ジャマイカの)エレイン・トンプソンの走りは亡き妻を思わせる」と、アル・ジョイナーも言う。「彼女たちは(記録に)迫れるだろう。自分ならできると自信を持っているからだ」
200mの記録も破られる可能性がある。
2020年6月に行われたアメリカの代表選考会では、ハーバード大学出身の疫学者でスプリンターのガブリエル・トーマスが200mで歴代2位の21秒61をたたき出した。アル・ジョイナーはたまたまスタンドでそのレースを見ていた。
「彼女はもっと速く走れると思っている。必要なのはそういうメンタルだ」と、再婚し、今はコーチング業に携わっている彼は話す。
世界新を樹立できるかという質問に、トーマス自身はこう答えている。
「自分に限界を設けたくないから、手が届かないとは言わない」
アル・ジョイナーは亡き妻に初めて会ったときのことを今でも鮮明に覚えている。アメリカがボイコットした1980年のモスクワ五輪の代表選考会でのこと。通路ですれ違っただけだが、印象は強烈だった。だが初デートはその6年後。2人は1987年に結婚した。
結婚後まもなく、彼は自身の競技キャリアを終え、妻のサポート役に回り、最大の理解者となった。決断のきっかけは、トラックで妻と1対1の勝負をしたことだ。
彼はあっさり負けた。
「それで潔くトラックを去り、コーチングに転向したんだ」と、アルは笑う。「彼女は僕を負かしたことが嬉しくないようだったが、どのくらい差をつけられるか確かめたかったらしい」