ギャング抗争、大統領暗殺、コレラとコロナ──海図なき漂流国家ハイチ
No One’s Really in Charge
民主主義の機能停止も国民の怒りを噴出させている。昨年の議会解散後も選挙は実施されず、モイーズが大統領令を乱発して統治を行ってきた。
加えて、モイーズの任期をめぐる対立もあった。野党は今年2月で任期切れだと主張していたが、本人は2022年2月まで居座る構えだった。
モイーズは大統領の権限を強化するため憲法改正を掲げていたが、コロナ禍で国民投票の実施は2回見送られ、今年9月の実施を目指していた。
こうした政治的混乱のせいでハイチは食糧難に見舞われ、ワクチン接種もままならずコロナ禍は悪化する一方だ。首都では暴力が吹き荒れ、誘拐が頻発。ギャングの抗争が相次ぎ、多数の住民が家を追われて郊外などに避難している。
暗殺の黒幕が誰であれ、目下の問題は、実際にハイチを率いているのは誰かということだ。「そんなことは誰にも分からないだろう」と、クレスカは笑った。
ハイチの憲法では、大統領が死亡した場合は最高裁長官が後任に就くが、長官は新型コロナウイルスに感染して6月に死亡した。そこで普通は首相ということになるが、4月に暫定首相に就任したばかりのジョセフは近く退任する予定で、暗殺される2日前にモイーズがアリエル・アンリを後任に指名していた。
消えないアメリカの影
アンリは7日、自分が暫定首相として政権を引き継ぐとラジオで主張した。アンリは神経外科医の権威で、国のコレラ対策を指揮してきた。しかし、任命された経緯や、まだ就任の宣誓をしていないこと、就任を承認する議会が機能していないことなどを考えると、正統性には疑問が残る。
ハイチは今、海図もなく漂流している。政治的混乱の歴史には事欠かない国だが、暗殺の経験はほとんどなかった。
最後に大統領が暗殺されたのは1915年。その際、アメリカは権益保護を理由に米海兵隊をハイチに侵攻させ、占領は20年近く続いた。
米軍は1994年にもハイチに展開。軍事政権(民主的に選出されたジャンベルトラン・アリスティド大統領を91年に退陣させていた)の排除に動いた。2004年にアリスティドが再びクーデターで退いた際も、米軍は多国籍軍の主力としてハイチに上陸した。アリスティドは自分の失脚の背後にアメリカがいると非難したが、当時のジョージ・W・ブッシュ米政権は否定した。
こうした経緯から、多くのハイチ人は今回も米政府の出方を注視している。ジェン・サキ米大統領報道官は事件当日にCNNで、「恐ろしい犯罪」だと暗殺を非難。「われわれは必要な支援を提供する準備ができている」と語った。