歴史に残る過ちを犯したラムズフェルド...超エリートは何を見誤ったのか
Quagmire Man Dead at 88
ラムズフェルドはアメリカの強さを過信した JOSHUA ROBERTSーREUTERS
<国防長官を2度務めたタカ派は、自分を過信するあまりアメリカを2つの泥沼に導くという負のレガシーを遺してしまった>
6月29日に88歳で死去したドナルド・ラムズフェルド元米国防長官は、ジャーナリストのデービッド・ハルバースタムが「ベスト・アンド・ブライテスト(最良にして最も聡明な者たち)」と呼んだエリートそのものだった。頭脳明晰で威厳に満ちていたが、最後には自らを過信するあまり自滅した。
超タカ派のラムズフェルドは、かつて「私は泥沼になどはまらない」と豪語した。だが彼の最大のレガシーは、イラクとアフガニスタンでの戦争を推し進め、泥沼化させたことだろう。
プリンストン大学卒の元海軍パイロットであるラムズフェルドは、ワシントンで出世の階段を駆け上がった。1975年には史上最年少の43歳で、フォード政権の国防長官に就任。2001年にはジョージ・W・ブッシュ大統領の下で、今度は史上最高齢の国防長官となった。
彼は筋金入りの保守派だった。冷戦期にはヘンリー・キッシンジャーが掲げたソ連との緊張緩和政策に強く反発し、軍備を増強すべきだと主張。ブッシュ政権の国防長官時代には、盟友のディック・チェイニー副大統領と共に、9.11同時多発テロ後にアフガニスタンだけでなくイラクにも報復攻撃するべきだと強く進言した。
ラムズフェルドはアメリカの強大な力を誇示することに喜びを感じていた。その彼が06年に事実上の更迭に追い込まれることになった一連の判断を通じ、アメリカの力の最大の弱点をさらけ出したのは、皮肉な話だ。
「ベトナムの二の舞」との警告を無視
彼は少数部隊の小規模な展開で大きな成果を達成したいと考えていた。アフガニスタン侵攻の初期には、それに成功。01年後半にはB52戦略爆撃機からレーザー誘導式の統合直接攻撃弾を投下することにより、武装勢力タリバンを2カ月足らずで一掃した。
しかし、その後の「対テロ戦争」では失策が続いた。
01年12月、アフガニスタン東部の山岳地帯で作戦を指揮していたCIAのゲーリー・バーントセンは、9.11テロの首謀者ウサマ・ビンラディンを追い詰めたと確信し、追加派兵を要請。ラムズフェルドはこれを却下し、ビンラディンの拘束はパキスタン軍に任せるべきだと主張した(パキスタン軍はビンラディンの逃亡を助けた可能性が高い)。
02年秋には、ジェームズ・ロシェ空軍長官がイラク侵攻計画について考え直すよう提言したものの、耳を貸さなかった。ロシェはラムズフェルドに「イラクはベトナムの二の舞いになりかねない」と警告したが、ラムズフェルドは「そんなはずがあるものか」と激怒した。