習近平政権が人権活動家の出国を認めない本当の理由
人権活動家の娘が意識不明の重体に
調査の過程で知り合った、苦しんでいる人たちを放ってはおけないし、調査に協力してくれた人たちに何らかのお返しをしたいという気持ちもあって、貧困地域や人権派弁護士の子どもを日本の我が家にホームステイさせたり、留学や就職の相談に乗ったりしてきた。
そのうちの1人、元人権派弁護士・唐吉田の娘のキキさん(仮名)は2019年から日本に留学し、東京の語学学校で日本語を学んでいた。自立心が強く、「うちの家の部屋が空いているよ」と何度か声をかけたが、「大丈夫です。自分でなんとか頑張ってみます」と言い、時々、我が家にご飯を食べに来るよう誘う程度だった。アルバイトをしながら学校に通い、大学受験に備えていた彼女は、「中国の農村ではまだ機会に恵まれない女の子が多い。心理学を学んで力になりたい」と話していた。
4月末、キキさんと数日間、全く連絡が取れないと唐吉田から連絡があった。風邪の症状があったと聞き、新型コロナウイルス感染の可能性を心配した私は、彼女のアパートを訪ねた。玄関のベルを鳴らしても彼女は出てこない。近くの交番のお巡りさんに一緒に来てもらい、外から声をかけ続けていると小さな声が聞こえた。キキさんは意識が朦朧とする状態で倒れていたのだ。救急車が到着してから3時間後、なんとか受け入れてくれる病院が見つかった。
助けることができてよかった、入院してしっかり治療すれば元気になるだろうと思っていた。入院後1週間は、簡単な会話もできていた。しかし、キキさんは結核を患っており、不幸なことに結核菌が脊髄や脳幹部にまで入り込んでいた。結核が原因の髄膜炎が急速に進んだ結果、水頭症を発症し、病院は懸命に治療を進めたが意識不明に陥った。この1カ月間、キキさんは意識が戻らないままだ。
私は毎日、医師の報告を中国にいる両親に伝えた。事態が深刻であるため、特に誤解のないように、専門的な内容を正確に伝えなければならないと、非常に重い責任を感じた。いつ病院から連絡があるかと、電話を一時も離せないし、落ち着いて仕事も就寝もできない。親の代わりに手術の同意書などにサインもしなければならない。唐吉田は、親戚や友人が参加する「キキさんの平安を祈る」SNSのグループをつくった。私は唐吉田の要望に応じて、グループの人たちから届いた「結核は治療可能なはずなのに、どうして意識不明に陥るのか」「他に有効な治療法はないのか」といった質問を医師に伝え、回答を中国語に訳して伝えた。親と同じぐらいの感情を込めて、責任感を持って対応しようとしてはいるものの、親に勝るはずがない。なんとか一刻も早く、両親に日本に来て欲しいと痛切に思った。
日本政府は新型コロナで渡航制限がある中、人道的配慮から両親の短期滞在ビザを超特急で発給した。急いで来日した母親は2週間のコロナ隔離期間を終え、6月初めにようやく娘に会うことができた。唐吉田は2010年5月以降、「あなたが出国すれば国家の安全を脅かす可能性がある」として、10回以上も中国から香港に出ようとした際に足止めされたという。出国禁止者のリストに名前があるなら、事前に関係機関に特別な許可をもらわなければ、今回も空港で出国を阻止される可能性が高い。