「狂信者」アハマディネジャドが、まさかの民主派に転身して復活
Ahmadinejad’s Comeback?
当時のアハマディネジャドはおそらく、ある点を見逃していた。自分に味方をしてくれて、09年大統領選後に起きた大規模抗議運動「グリーン革命」を抑え込んだ保守派は、トラブルメーカーになりそうな存在なら、誰であれ同じようにつぶすということだ。
大統領退任を控えたアハマディネジャドが後釜に据えようとした最側近のエスファンディヤル・ラヒム・モシャイは保守派に嫌われ、大統領選立候補を認められなかった。モシャイは「国家安全保障への脅威」や「反体制プロパガンダ」を理由に、18年に懲役刑を言い渡されている。
17年大統領選では、ハメネイの助言に逆らってアハマディネジャドが立候補を届け出たが、このときも失格になった。本人も仲間も国家の重職に就く見込みがないのは、もはや明らかだった。
システムの枠内で権力の座に返り咲く手段はないと判断したアハマディネジャドは、別の道を開拓することに決めた。この4年間、国内政治における一線をいくつも踏み越え、反政府デモを支持したりイランの「構造的腐敗」を指摘したり、シリア内戦への介入を批判してきた。
今年の大統領選への再立候補は、長期的イメージ刷新作戦の最新段階と見なすべきだ。
現体制の崩壊を視野に
出馬は認められないだろうと承知していたアハマディネジャドにとって、失格判定は望みどおりの結果だ。おかげで、変革を求めてひたすら戦い、支配層との直接対決も辞さない人物とのイメージを打ち出すことができる。
再び大統領になる可能性がほぼないのは、本人も分かっているに違いない。だがその野望の対象は、大統領府をはるかに超えた次元にある。
アハマディネジャドは、82歳になったハメネイの死去後に訪れるはずの権力の空白を待っているふしがある。国内にも国外にも確固たる反体制勢力が存在しない現状で、目指すは全国的な「抵抗勢力」のリーダーという役割だ。
アハマディネジャドの元顧問で、現在は徹底した批判派であるアブドルレザ・ダバリによれば、ハメネイの死とともに現体制は崩壊するというのがアハマディネジャドの考えだ。だが、リベラル派民主主義者という自称とは裏腹に、アハマディネジャドが理想的な代替制度として描くのは、最高指導者抜きのイスラム国家という在り方だろう。
アハマディネジャドの野望の実現には、政治的基盤の拡大が必要になる。