「狂信者」アハマディネジャドが、まさかの民主派に転身して復活
Ahmadinejad’s Comeback?
狂信的イデオロギーや強硬路線で知られたアハマディネジャドだが(写真は2010年) RANIAN PRESIDENT'S OFFICE/GETTY IMAGES
<大統領選への再立候補の失格判定はアハマディネジャドの読みどおり。今やリベラルを自称する策略家の狙いは>
狂信的イデオロギーや強硬な外交政策、激しい対米・対イスラエル批判──マフムード・アハマディネジャド前大統領時代のイランといえば、そんな特徴が記憶に残る。
だが2013年に大統領を退任して以来、ポピュリスト的扇動にたけたアハマディネジャドは、もっぱらイランの統治システムを攻撃対象にしてきた。そうした動きが頂点に達したのは今年5月。6月18日に予定される大統領選への再立候補を届け出たのだ。
イラン大統領選の立候補には、護憲評議会による資格審査を通る必要がある。予想どおり、アハマディネジャドの出馬は認められなかったが、これこそ「勝利」だった。
アハマディネジャドの真の狙いは、大統領選に勝利する機会を奪われることにあった。自らを不当な体制の犠牲者とアピールするには、そのほうが都合がいい。
あなたたちが思うアハマディネジャドではない
大統領選への立候補を届け出た際、護憲評議会が自分を失格にするなら選挙をボイコットすると、アハマディネジャドは脅しをかけた。ほかの候補を支持することはないとも明言した。
保守派は直ちに反発し、アハマディネジャドが異を唱えているのは、自らが大統領になるために利用した選挙制度にほかならないと批判した。それでも、アハマディネジャドの挑発は続いた。あるインタビューでは、自らを「リベラル派民主主義者」と形容。これはイランの強硬派が、反対派の信用失墜のためによく用いる呼称だ。
さらに「私はあなたたちが思っているアハマディネジャドではない」とも語っている。この発言こそ、彼のメッセージを理解するカギだ。そう、もはやアハマディネジャドはかつての彼ではない。
実際、その変貌は10年ほど前から始まっていた。政府内保守派との関係にひびが入ったきっかけは、不正疑惑が指摘された09年大統領選で、アハマディネジャド再選という結果を後押しした最高指導者アリ・ハメネイの支持を拡大解釈したことだった。
アハマディネジャドはハメネイの支持を「自由裁量」の許可証と受け止めたらしい。その結果、司法府や議会、イラン革命防衛隊、ハメネイ自身も含めたほぼ全ての権力機構と深刻な対立に陥った。