日本や韓国はアジアじゃない? アジアの「異質さ」が差別との闘いを難しくしている
Just Who Is “Asian” ?
アジア系の人々への暴力に抗議するデモは全米各地に広がった JEENAH MOONーREUTERS
<アトランタの銃撃事件は世界に衝撃を与えたが、「黒人」と違って「アジア系」は連帯して闘いに挑むにはあまりに多様>
去る3月16日に米ジョージア州アトランタで起きた銃撃事件は衝撃的だった。犠牲者8人のうち6人がアジア系の女性だったからだ。そこで問題。そもそも欧米社会における「アジア系」とは誰を指すのか。
あの事件に対するアメリカ政府の反応を伝えるに当たり、複数のメディアは副大統領のカマラ・ハリスを犠牲者たちと同じ「アジア系アメリカ人」と呼んでいた。確かに彼女はインド人の血を引いているが、犠牲者の多くは(インドを中心とする南アジアではなく)東アジア系だった。だから筆者は、そうした報道に強い違和感を覚えた。
アメリカは人種に敏感な国で、ともすれば欧州諸国はアメリカの先例に倣おうとする。だからアメリカの首都で働く中国系イギリス人の私にとって、これは単なる理屈の問題ではない。私を含む「アジア系」の人が日々直面しているアイデンティティーをめぐる困難の一部なのだ。
アジア系の明確な定義はない
「黒」は肌の色を指す言葉だが、「アジア」は地理的な概念だ。「BLM(ブラック・ライブズ・マター=黒人の命は大事)」というスローガンは、アメリカの黒人にもイギリスの黒人にも響いた。欧米で黒人として生きる意味には共通の理解があるからだ。
しかし「アジア」の定義は国によって大きく異なる。アメリカの場合、黒人を奴隷とし、搾取してきた過去があるから、人種の概念はいや応なしに肌の色と結び付いている。一方で、東アジア系の人々が黒人ほどに「人種」として意識されることはなかった。
少しでもアフリカにルーツがある人は、アメリカでは黒人と定義される。しかしアジア系の明確な定義はない。アメリカやヨーロッパで「アジア人であること」が何を意味するかについては、いまだに議論の余地がある。
かつてのアメリカで黒人を差別した法律は、肌の色で誰が黒人かを決めていた。しかし東アジア系の人を差別した法律(1875年のペイジ法や1882年の中国人排斥法など)は、「望ましくない」とされる移民をもっぱら国籍で区別していた。