【やさしい解説】米南部で「復活」した人種隔離政策「ジム・クロウ法」とは
1-3: ジムクロウと白人性
歴史学者のデイヴィット・ロディガーによると、ミンストレルショーのブラックフェイスは、多様な白人移民によって構成された白人労働者階級にとって、「白人」というアイデンティティを構築する意味をもった演劇であると考察しました。
具体的にみていくと、そこには次のような過程があります。
(1)白人の観客はブラックフェイスの芸人が、黒人ではないことを当然知っている
(2)この「黒人でない」という否定が、逆に「白人」という抽象的な概念を浮上させる
(3)多様な文化やルーツをもつ白人の労働者階級の人びとは、この「白人」というカテゴリーに統一的なアイデンティティを感じることになる
つまり、<「黒人」否定による「白人性」の構築といった政治性がミンストレルショーのブラックフェイスにはあったのです。
いったん、これまでの内容をまとめます。
1章のまとめ
・「ジムクロウ」という言葉は、顔を黒塗りした白人俳優のトーマス・ライスが演じたキャラクターから生まれたもの
・「黒人」否定による「白人性」の構築といった政治性がミンストレルショーのブラックフェイスにはあった
2章:ジムクロウ法とは
さて、ミンストレルショーで広く知れ渡った「ジムクロウ」というキャラクターは、アメリカ南部における人種隔離的な法律/規制の総称となります。これが「ジムクロウ法」と呼ばれるものです。
2章では、このジムクロウ法を概観します。下記の簡潔なアメリカ史を踏まえると、内容が理解しやすいです。
ジムクロウ制度成立の歴史
・南北戦争後の再建期(Reconstruction)...アメリカ合衆国憲法修正案第13条、14条、15条が承認されると、「奴隷制の廃止」「黒人の市民権」「黒人男性の投票権」が保障された
・再建期の終わり...しかし1877年までに南部に政治的影響力をもった北部のアメリカ軍は撤退し、南部の黒人に対する連邦政府の保護は排除されていく。その結果、アメリカ合衆国憲法修正案第13条、14条、15条は死文となり、解放された黒人に対する市民権の保護、経済的支援は終わりを告げる
・ジムクロウ制度の成立...その後は「分離すれど平等」で知られる1896年のプレッシー判決で人種隔離が公認されると、ジム・クロウ制度によって有色人種に対する抑圧的な政治経済制度が継続した
2-1: ジムクロウ法の内容と具体例
社会学者のジェームス・バーダマンが次の著書で述べるように、ジムクロウと呼ばれる制度は「法律規制」と「社会的規範」から成り立つものです。それぞれ解説していきます。
参考
アメリカ黒人の歴史 (NHKブックス)
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2-1-1: 法律規則
ジムクロウの法律規制とは、
州・郡・市町村において、人種隔離をする規則と条例
です。
具体的には、黒人は公共施設、公立学校、病院、待合室、レストランなどで白人から「平等に」隔離されていました。これは後に説明する1896年のプレッシー判決によって支持されたものです。
そのなかで最も影響があったのは、黒人公民権の実質的な剥奪です。1870年に黒人を含めたすべての市民に対する投票権は保障されていました。しかし、これはさまざまな方法で剥奪されていきます。
たとえば、次のような事例が報告されています。
・投票税や識字テストを導入することで、黒人からの投票権を奪う
・投票前に申し込みする制度が州によっては存在し、白人のみに支援がされた(黒人に対しては当然なかった)
・アメリカ憲法の特定の条項に関する解釈を求められたり、難解な法律用語の解釈を求められたりした
・ある黒人は投票所で中国語の新聞を渡されて「なんと書いてあるかわかるか?」と記録員に問われると、「黒人は投票できないと書いてある」と答えたという逸話もある
投票権の剥奪に加えて、法律が誰に適応されるのか?という問題もありました。
結論からいえば、法律は白人を保護するものであり、黒人には法の下での平等な保護を受ける資格がないと考えられていました。
そもそも、裁判の際に評決を下す陪審員は白人が独占しており、黒人が選ばれることはまずなかったのです。
参考
黒人と公民権の関係は深く長い歴史があります。興味のある方は、こちらの書籍を参考にしてください。
アメリカの黒人と公民権法の歴史 (世界人権問題叢書)
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