【やさしい解説】米南部で「復活」した人種隔離政策「ジム・クロウ法」とは
2-1-2: 社会的規範
そして上述のような法律規則に加えて、社会的な規範、つまり日常におけるルールとともにジムクロウ制度は成り立ってたといえます。
たとえば、ジムクロウの社会的な規範には次のような具体例があります。
・呼称に関して... 黒人は白人に必ず敬称を用いた(MrやMiss)一方で、白人が黒人に敬称を用いることは皆無であった
・日常的な振る舞い...黒人は白人と話すときに帽子を取ること、黒人が贅沢な暮らし(高級車に乗ること、立派な服を着ること)は見せびらかしてはいけない等
・黒人男性と白人女性の関係...白人男性は黒人男性と白人女性が関係をもつことを嫌った。関係をもったとされた場合は、「犯人」である黒人男性はリンチされ、公開処刑されることが大半であった
・労使関係...白人が地主の土地で働く場合は、奴隷同然に「主人」の指示に従う必要があった
ジムクロウ制度は実体があるものではなく、上述した内容のような「法律規制」と「社会的規範」から成り立っていました。
2-2: ジムクロウ法の理由
ジムクロウ法を正当化するために用いられた理由は多様です。たとえば、聖書の読解から奴隷制やジムクロウ法を正当化する人びともいました。
しかし、最も中心的な理由は「1896年のプレッシー判決」でしょう。差別稼働させるイデオロギーであった「社会進化論」と「人種主義」とともに紹介していきます。
2-2-1: プレッシー対ファーガソン裁判
プレッシー対ファーガソン裁判とは、
・鉄道車両における白人と黒人の分離を定めた1890年のルイジアナ州法を連邦最高裁が是認したもの
・以後、約半世紀にわたる「分離すれど平等」の原理のもと、南部における人種隔離体制を正当化する理由となったもの
です。
概要を詳しくみていきましょう。
1890年代まで黒人は合衆国憲法とその修正条項を盾に、ある程度抵抗をすることが可能でした。しかし、プレッシー対ファーガソン裁判によって、その事態は急変しました。
ホーマー・プレッシーは8分の7が白人の血で、8分の1が黒人の男性でした。つまり、言われなければ誰も気づかないほど、見た目は白人だったのです。
しかし問題となったのは、彼の体内に流れる8分の1の黒人の血です。この血があるために、白人席に乗車した瞬間、プレッシーは逮捕されたのです。
メモ
黒人の血が一滴でも流れている限り、黒人と分類されることを「ワンドロップ・ルール」といいます。(→詳しくはこちらの記事)
平等の権利を求める弁護団は有色人種の座席を設けることに抗議しただけでなく、ジムクロウ制度そのものを止めるために戦いました。しかし、ヘンリー・ブラウン判事は「分離すれど平等」のもと、弁護団の主張を退けたのでした。
この瞬間、南北戦争後の再建期が目指した黒人の権利は死文となりました。連邦政府はジムクロウという人種主義制度を公認し、黒人や有色人種を二級市民へとおとしめることを認めたのです。
ちなみに、「ナチスのニュルンベルク法はアメリカ合衆国の人種主義制度をお手本としていた」という衝撃の歴史的事実が指摘されています。興味のある方は次の書籍を読んでみてください。
参考
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2-2-2: 社会進化論
ジムクロウのような人種主義制度を稼働させたイデオロギーとして有名なのは、社会進化論です。社会進化論とは人間の社会や文化が進歩的に発展していくと考える思想です。
この思想が蔓延した当時の社会では、白人の優性と黒人の劣性がまことしやかに信じられていました。
そして、社会進化論は次のような出来事を正当化するイデオロギーとして導入されます。
・植民地や帝国主義の経済的競争は、自然の摂理に従っている
・寒冷気候で生きる白人は強者であり、温暖な気候で生きる黒人は生存競争を勝ち抜いていない弱者
たとえば、ノーベル文学賞を受賞したルドヤード・キップリングは帝国主義を支持し、白人の優越性を謳った『白人の重荷』(1899)を書きました。これは社会進化論を背景に書かれた本です。
参考
社会進化論について詳しくは、次の記事を参照ください。