繰り返されるミャンマーの悲劇 繰り返される「民主国家」日本政府の喜劇
スーチー氏以外の多くの党員や支持者は投獄されたままだ。5人以上の集会は事実上禁じられているために、彼女は自宅前に集まった市民に話しかける「対話フォーラム」をはじめた。軍事政権は記者会見を自由に開き、国営の新聞・テレビで自分たちの意見や宣伝を流すことができるが、NLDには自分たちの活動を伝える印刷物さえ許されない。
これが「解放」の実態なのだが、日本政府はそれを民主化進展のあかしととらえた。ヤンゴンの日本大使館関係者は、軍事政権による表現の自由の抑圧ではなく、スーチー氏がNLD書記長に復帰したことを「予想外の強硬な態度」と評した。彼らにとっては、日本のODA(政府開発援助)大綱に定められた基本的人権や自由の保障とは、この程度の意味しかもっていないようだった。
「経済発展に民主化は不可欠」
スーチー氏が私のインタビューで最も強調したのは、「経済発展には民主化が不可欠」という点だった。軍事政権が進める市場経済化政策に応じて日本など外国からの対ミャンマー投資が増えていることについて、「国民の政治に対する信頼がなければ長期的に安定した経済発展は望めません」として、民主化運動のために闘いつづける決意をあらたにした。それなしには、経済開発は軍人を頂点とする一握りの特権層のふところを富ませるだけで、貧富の格差をさらに広げることになってしまうからだ。
彼女はまた、日本人ジャーナリストの私に問いかけるように言った。「日本人は、戦後の繁栄と平和がどうして達成されたかを忘れないでほしい。それは、軍国主義から解放されて民主主義を手に入れたおかげではないでしょうか」。そのような歴史認識が日本の政府と国民に定着しているなら、私たちの民主化運動を正しく理解してくれるはずではないか、という意味であろう。
彼女はそれ以上言わなかったが、その日本軍国主義は第二次大戦中にビルマ(ミャンマー)を侵略し、この国の人びとの命と土地、財産、文化を踏みにじったことをミャンマー国民は忘れていない。彼女の父アウンサンは、英国からの独立をかちとるためにはじめは日本軍の支援を受けながら、日本の敗色が濃くなった戦争末期に抗日蜂起に立ち上がった「独立の英雄」である。
スーチー氏はさらに、「ビルマも1960年代に軍部が実権を握るまでは、民主政治の下で、アジアで最も発展の早い国でした」と指摘した。
私は日本のODA再開決定をどう思うかとたずねた。