国軍につくか市民につくか......ミャンマーが中国に迫る二者択一
China Finds Itself Under Fire in Myanmar
前政権が中国と締結した合意を、軍事政権が継承するかどうかも不透明だ。政情不安が高まれば、両国の国境地帯の紛争が激化して貿易にも支障が出かねない。またデモ隊は石油パイプライン敷設計画など国内各地の中国系プロジェクトを標的にするとしており、中国政府は彼らの動向にも目を光らせる必要がある。
中国は国軍を非難することも、民主化勢力の怒りを買うことも避けながら、自国の利益を守る道を模索してきた。だがクーデター直後にアメリカが国軍を非難したことで、そんな中国の実利主義が白日の下にさらされてしまった。
国連安全保障理事会による非難声明をめぐって、中国はロシアと組んで国軍への強い非難を盛り込まないよう交渉し、「クーデター」の表現が削除された。デモ隊としては、中国の投資プロジェクトを標的にすることで、国軍に厳しい態度を取るよう中国政府に圧力をかけたいところだ。
中国が進めてきた開発プロジェクトの経済効果が疑問視され、環境問題が懸念されるにつれ、ミャンマーではここ数十年、反中国感情が高まっていた。1988年の大規模民主化デモは、80年代の中国・雲南省からの移民の大量流入に人々が不満を抱いたことも原因の1つになったと、東南アジアにおける中国の影響についての著書があるセバスチャン・ストランジオは指摘する。
そもそも中国系ミャンマー人は、政府公式発表の135の少数民族に含まれず、「常にある程度の人種差別を受けてきた」と、在ミャンマー華僑青年協会のサイネイネイウィン会長は言う。
デモ隊の間で反中国感情が高まっていることで、中国系ミャンマー人コミュニティーは不安を募らせている。この緊張状態は「双方向的問題」だとサイネイネイウィンは言う。多くの在ミャンマー華僑が、ミャンマーよりも中国に強いつながりを感じているからだ。一方で、進んでデモに参加する中国系ミャンマー人も増えている。警察の銃撃を受けて死亡し、抵抗の象徴的存在となった19歳のカイアル・シンもその1人だ。
軍事政権にいら立つ中国
民政移管前の1988~2011年、当時のミャンマー軍事政権は中国に擦り寄っていた。「根深い中国不信」を抱えながらも、国際社会から背を向けられていたからだと、ストランジオは言う。そして、欧米諸国からの非難が高まる今、現軍事政権がかつてと同じ行動に走ることは容易に想像できる。とはいえ、中国依存を減らしたいとの願望が、ミャンマー民主化の原動力となっていた側面もある。
アウンサンスーチー支持者の多くは認めたがらないだろうが、彼女が事実上主導していた国民民主連盟(NLD)政権下で、中国はミャンマーとかなり親密な関係を築いていた。NLDが政権を握りつつも軍に頭を押さえ付けられていた以前の体制は、中国にとっては理想的だったようだ。軍による人権侵害でミャンマーが欧米諸国からは敬遠される一方で、中国はおおむね合理的なNLD政権を相手に取引ができたからだ。