アサド政権が越えてはならない「一線」を越えた日
THE ARROW’S PATH
さらに不吉なのは、負傷者の映像だった。おそらく7、8歳ぐらいの少年が腕を振り回し、激しくけいれんしていた。まるで見えない敵を撃退しようとするかのように......。
だがセルストロムは神経ガスの生理学的影響の専門家だ。何が起きたか、よく分かっていた。
3日前、20人の国連調査団はシリア内戦で化学兵器が使われた疑惑を調査するため、首都に入ったばかりだった。セルストロムはバシャル・アサド大統領の政府に対し、被害を受けた村への訪問と調査の許可を求めたが、シリア側は拒否。3日間の交渉は行き詰まり、セルストロムは任務を果たすことは不可能だと判断してベッドに入った。
そして今、何者かがホテル近くの首都郊外に大規模な化学兵器による攻撃を開始した。その後に判明したところでは、死者は少なくとも1400人。その中には子供も400人以上含まれていた。この惨劇が、国連調査団の滞在中に起きたのだ。
銃撃されても調査を続行
ニューヨークの国連本部は、セルストロムに発言を控えるよう指示した。ダマスカス郊外での恐るべき犯罪の正確な実態はまだつかめておらず、当局者は事実確認と対応を検討するための時間を必要としていた。
だが、セルストロムは自分を抑えられなかった。恐ろしいことが起きた。何かしなければ......。彼はホテルのロビーに待機していた報道カメラの前に歩み寄り、こうアピールした――世界中の政府は今すぐ国連に調査を要求すべきであり、事務総長に書簡か電話で働き掛けてほしい。
一方、ワシントンではオバマ政権が別の圧力をかけ始めていた。オバマ大統領と政権スタッフは数日以内にシリアへの軍事攻撃を行う準備を命じていたが、国連調査団の存在が気になっていた。もし攻撃を実行すれば、調査団に死傷者が出かねない。人間の盾にされる恐れもあった。
オバマは潘基文(バン・キムン)国連事務総長(当時)に対し、すぐに調査団を引き揚げるよう非公式に要請。新たに任命したサマンサ・パワー国連大使にも同じメッセージを伝えさせた。