災害大国だからこそ日本の日常にある「奇跡」
正解はおよそ2200年前。そしてその当時に津波という言葉はない。紀元前200年に海の神が怒り荒れ狂い、その怒りを沈めるために島のキャラニア地方を治めていた当時の王が愛する娘、ウィハーラ・マハ・デェーウィー王妃を神の怒りを治めるために船に乗せ、生贄として海に流したという伝説がある。今回の津波を経験し2200年前の海の神が怒ったとは津波であったに違いないとの解釈に至った。
スリランカにとっての津波は、大きな痛みと、大きな成長をもたらした。自然界の力をまじまじと見せつけられ、人間同士が争うことの不毛に気付いたのか、長年続いたスリランカ内戦は、津波発生後に一旦ピタッと止まった。日本からも大小の多くの支援が現地に届いたが、なかには日本らしいものもあった。例えばかつての日本の小学校の教科書にも載っていた安政南海地震津波の際の実話に基づいて書かれた物語「稲むらの火」がスリランカで使われている言語に翻訳され、子ども達に配られた。日本からの援助によって沿岸地域に津波警報機なども設置された。
津波を経験する前と比べるとスリランカ人は見違えるほど大きく成長した。例えばスリランカでの今回の津波は、最初は引き潮になって、それからしばらくして津波が押し寄せている。津波前の引き潮はいわば逃げるための最も分かりやすい合図である。今ではスリランカ人は、そのことを充分理解している。そのため、今回のように引き潮を面白がり、誘い合い海に向かい大騒ぎをするようなことはこれからスリランカでは起きないだろう。
語り継ぐことで起こる奇跡
人間によってつながれた動物以外は安全な場所に逃げて生き延びたようだ。人間からは動物的本能がいつの間にかそぎ落とされている。だからこそ、津波に対する知識や防災教育、それに伴う行動力が必要である。それによって誰ひとり津波で命を落さなくて済むはずだ。これは単なる理想ではなく、充分に現実的だということを教えてくれる事例がある。インドネシアのシムル島だ。
インドネシアはインド洋大津波の震源地であり死者・行方不明者が最も多く17万人に及んだ。その中で震源地からわずか60キロしか離れていないシムル島で犠牲になったのはわずか7人だけだった。これは「Smongの奇跡」と讃えられている。なぜに奇跡が起きたかは簡単だ。1907年にこの地域で発生した地震と津波の経験を詩(Smong)にして未だに世代を超えて大切に語り継いでいるのだ。
岩手県の大槌湾を望む釜石にも「釜石の奇跡」がある。釜石東中学校の562人の児童・生徒全員が「てんでんこ」の教えによって自らの命を守った。釜石市では、その知恵を生かし平均して週1時間を防災教育に充て、年3回防災・避難訓練を行っていた。
「天災は忘れたころにやってくる」は物理学者・寺田寅彦の言葉とされている。自然災害大国日本であるからこそ「奇跡」が日常であるように、地域や自治体があらためて自分ごととしての取り組みを進めることを切望する。
【筆者:にしゃんた】
セイロン(現スリランカ)生まれ。高校生の時に初めて日本を訪れ、その後に再来日して立命館大学を卒業。日本国籍を取得。現在は大学で教壇に立ち、テレビ・ラジオへの出演、執筆などのほか各地でダイバーシティ スピーカー(多様性の語り部)としても活躍している。