災害大国だからこそ日本の日常にある「奇跡」
日本の防災意識は高いがそれでも万全ではない(東日本大震災から10年を迎えた福島県磐城市の海岸) Kim Kyung Hoon-REUTERS
<インド洋津波災害でも、インドネシアのシムル島では津波を語り継いだために起きた奇跡があった>
はじめに、東日本大震災で亡くなられた方々とご遺族の皆さまに哀悼の意を表するとともに、未だ避難生活を送られている方々、全ての被災者の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
東日本大震災が発生した日、牙を剥き出し陸地をえぐりながら迫る津波の凄まじさ、人々の大切なものを破壊し、根こそぎさらってゆく無情さ、そして親族、友人の無事を祈る人びと。それらの映像が未だに鮮明に脳裏に焼きついている。被災地からの映像を見ているだけでもショックは大きく、仕事もまともに手につかなかった。状況が少し落ち着いてからは被災地に出向き、ヘドロ掻きや献血推進活動、仮設住宅や学校などで落語などもさせていただいた。
今年2月13日に発生したマグニチュード7.3の地震が、10年前の東日本大震災の余震だと見られるというニュースに「あの地震はまだ終わっておらず、忘れるな」と喝を入れられたような気がした。未だに700人近くが仮設住居に、5万人近い避難者が全国に散らばって暮らしている。岩手、宮城と福島の人口は震災前と比べ、およそ30万人減少した。果たして被災地の街はいつの日か元の状態に戻るのだろうか。
日本が災害大国であることは周知の事実だ。日本の面積は世界全体の0.28%だが、ここに世界の活火山の7%が集中し、マグニチュード6以上の地震の20.5%がこの日本で起きている。さらには、世界で発生する自然災害の被害額の11.9%が日本だ。ただ日本での災害による死者数は世界のわずか0.2%と低い。驚くべき数字だが、だがむしろ災害が多い中で生き延びる力がこの国の人びとに備わっていることの証明でもある。
ただ東日本大震災で1万5899人が命を落とし、2525人が行方不明であることを考えても、日本人の命を自然災害から守る力は万全ではない。
スリランカの「想定外」
津波から命を守るための三陸地方に伝わる「津波てんでんこ」「命てんでんこ」がある。その教えによって助かった命もあれば、一方で高齢者や家族の救助に向かったことで亡くなった消防団員や市民の方も大勢いた。あるいは防潮堤がある町の避難実施率は1割程度で、乗り越えてきた津波にのみ込まれた方々もいた。先祖代々が後世のために残した津波の記録や印が薄れてきたころに自然は襲いかかってくるのかもしれない。ただ、それでも日本人の自然災害と共に生きる力は優れている。私のような新米の日本人が基本的に口を挟む余地はないが、言いたいことが全くないわけではない。
実は、母国スリランカも津波被害を受けた。今から16年前の2004年12月26日のインド洋大津波だ。マグニチュード9.0のインドネシア・スマトラ沖地震が起き、発生した津波によって10カ国以上が襲われ、死者・行方不明者は28万人に及んだ。スリランカは震源地から1600キロ離れていたため、基本的に揺れを感じることはなかった。そして、津波が到達するまで2時間の猶予があり、命を守るための十分な時間があったにもかかわらず死者・行方不明者を合わせると4万959人が命を奪われた。東日本大震災の2倍以上だ。その最大の理由は「想定外」という一言に尽きる。
自然災害において「想定外」は禁句だ。ただ当時のスリランカには自他共に認める桁違いの想定外があった。日本人には津波についての基本知識がある。年に何回も地震が起きる度、津波の心配はあるかないかの速報情報が出される。日本人にとって津波は身近にある。その点スリランカ人はどうか。ここでクイズを出したい。「スリランカ人が今回2004年に津波を経験したが、その前の最後の津波はいつだったでしょう?」。