習近平国賓来日は延期でなく中止すべき
3月1日、中国の国防部は「中国公船が自国の領海で法執行活動を行うのは正当であり、合法だ」という趣旨の方針を発表し、この状態を「常態化」していくと宣言した。
これは1992年2月に、全人代常務委員会が「領海法(領海と接続水域法)」を制定して、その中で「尖閣諸島とその領海および接続水域」を「中国の領土・領海である」と定めたからだ。
日本はこのとき何をしたのか。
国家運命を賭けてでも絶対に反対し、国交断絶をするくらい激しく怒らなければならないのに、反論をしないどころか、なんと、その同じ年の1992年10月に、こともあろうに天皇陛下訪中を実現させてしまったのである。
これではまるで日本国が「中国の仰る通り、尖閣諸島およびその領海も接続水域もすべて中国のものです」と認めたに等しい。
だから中国の国防部は尖閣諸島領海侵入を「常態化させる」と断言したのである。
中国からすれば「法に基づき、法を執行している」という言い分になる。
2月1日から施行された中国の海警法にしてもそうだ。
これは明らかな国際法違反であるにもかかわらず、菅首相は「強い懸念を(中国に)伝えておきたい」と、まるで他人事だ。茂木外相などは「この法律(海警法)が国際法に反する形で適用されるようなことがあってはならない」などと言っているが、海警法自体が国際法違反なのだ。遺憾の意を表すのなら行動で示すべきだが、日本の対中政策は口先だけだ。
日本が中国を経済強国にした
1989年6月4日に起きた天安門事件により、アメリカを中心とした西側諸国は厳しい対中経済封鎖を行おうとした。しかし封鎖を緩いものとさせ、さらにそれさえをも最初に解除したのは日本だった。経済封鎖を受けた中国はただちに日本の政財界に働きかけて日中友好の重要性を説き、微笑みかけてきた。すると、同年(1989年)7月に開催された先進国首脳会議(アルシュ・サミット)で日本の当時の宇野(宗佑)首相は「中国を孤立させるべきではない」と主張し、1991年には海部(俊樹)首相のときに円借款を再開し、西側諸国から背信行為として非難された。
2020年12月23日に極秘指定を解除された当時の外交文書によると(時事通信社が開示請求)、日本は「中国を孤立させてはならない」として人権や民主よりも経済交流を重んじ、そもそも制裁にさえ反対していた日本の姿が浮かび上がってくる。
当時の中国の銭其琛外交部長は回顧録で、天皇訪中を「対中制裁を打破する上で積極的な作用を発揮した」と振り返っているし、また「日本は最も結束が弱く、天皇訪中は西側諸国の対中制裁の突破口となった」とも言っている。