タイガーが暴露症の女ばかり選んだ理由(アーカイブ記事)
私たちはみんな、そうしたものを得るために自分たちの魅力と才能を駆使している。だがお色気を売るのは危うい選択だ。自分を他の誰かと取り替えのきく存在におとしめてしまうからだ。
10人以上の元愛人の写真を前に、自分が大勢の中の1人だったと気づくのは屈辱的なことに違いない。元愛人のうち2人は、クリントン元大統領のセクハラ裁判でポーラ・ジョーンズの代理人を務めた弁護士を雇い、ウッズに対して公の場で妻に謝罪したように自分たちにも謝罪するよう要求した。
ウッズに傷つけられた彼女たちは、その復讐をしようとした。もっとも彼女たちは、ベッドを共にした男についても、またセレブとの性的関係とはどういうものかについても、現実的な理解が抜け落ちていたようだ。
こうした出来事の裏には相互の誤解がある。フランスの心理分析学者ジャック・ラカンは愛についてこう語っている。「愛とは手元にない物を、それを欲しがってもいない人に与えることだ」
言い換えるなら愛とは誤った自己認識。私たちが愛しているのは自分たちを投影したものに過ぎない。
誰しも罪深い秘密を持っている
この「愛」を「セレブの世界」に置き換えても同じことが言える。セックスの相手をするファンも、関連商品を扱う企業もセレブが「自分たちの求めるとおりの存在」であることを期待する。
だが小さな球を長い棒でカップに打ち込む才能と誠実さや高潔さとの間には必ずしも相関関係がないことを知ったファンはショックを受けたり落胆したりする。
結局のところ妻も含め、誰もウッズのことを理解していなかった。そして妻は、結婚した相手が何者であるかまるで分かっていなかったことを世界に知らしめたくてピープル誌の表紙になった。
あらゆるスキャンダルは「表の顔」と本当にその人を突き動かしている「何か」の間のギャップを暴きだす。
ウッズの聖人君子的なイメージとグリーン外での火遊びとの間に横たわる大きな距離を思えば、スキャンダルになるのは時間の問題だった。もっと言えば、ウッズはスキャンダルに発展すること間違いなしの女性にばかり引きつけられていたようだ。
スキャンダルのニュースを見るたびに感じること。それは自分の敵は自分だということだ。罪深い秘密は出口を求めている。そして誰しもそんな秘密を持っている。
(Slate.com特約)