最新記事

アメリカ

医療保険は「アメリカンドリーム」の1つだった

2021年2月11日(木)11時40分
山岸敬和(南山大学国際教養学部教授)※アステイオン93より

医療保険はこれまでアメリカンドリームの一つとして獲得するものとされていた。すなわち、努力をして、より良い条件を求めて転職をして、そして好条件の医療保険を提供してくれる企業に就職する。努力をしない者に同様の条件が政府によって保障されるのは我慢できない。アメリカの伝統的価値観に裏付けられた医療保険制度は、市民をこのように分断してきたと言える。

しかし新型コロナウイルス感染症は、他人の健康が自分の健康に直接影響することを知らしめ、医療問題が国家経済に大きな影響を及ぼすことも示した。民主党大統領候補(編集部注:当時)のジョー・バイデンにとって新型コロナウイルス感染の拡大は、医療に対する連邦政府のより大きな役割を主張するための武器になる。問題はバイデンが、そこでオバマができなかったこと、すなわち、アメリカニズムの再定義ができるかどうかである。

しかし状況はもう少し複雑である。過去にも医療保険制度改革の時期に明確な外敵がいたが、今回は中国がそうなりつつある。中国は、新型コロナウイルス感染症を、いわば個人のプライバシーを無視した強権的な手法で押さえ込んだ。トランプは中国との対決姿勢を強めることで、大きな連邦政府の役割を求めるバイデンを「社会主義的」だと攻撃する。バイデンがそれに対してどのように反論するかが注目される。

おわりに

アメリカ人の個人の自由に対するこだわり、自分の「生」についての選択する自由に対するこだわりの強さの本質は、日本で育った日本人には理解が難しい。新型コロナウイルス感染症が拡大しても、反マスク運動が起こったり、ワクチンがもし完成しても3人に1人は接種を拒むだろうという調査結果を目にしたりする。まさにパトリック・ヘンリーの「我に自由を与えよ、然らずんば死を」の世界である。それ故に「生」についての選択に関わる医療保険政策は、アメリカのアイデンティティをめぐる議論にまで影響するし、大統領選挙で最重要争点の一つになる。

新型コロナウイルス感染症によって、アメリカ国内では分断が先鋭化した部分もある。しかし同時に、建国の父たちが決めたナショナルモットー「多から一を(E Pluribus Unum)」を再認識する機会にもなった。見えない敵であるウイルスと戦うために、多種多様な人種、民族、宗教、文化の人々は「一」となって行動しないといけない。もはやこれまでのアメリカニズムでは「一」になることが困難である事は明らかになった今、2020年大統領選挙でどのようなビジョンが語られるのかは、アメリカの将来のみならず、これまでアメリカの伝統的価値観を手本としたり憧れの対象としたり、そして時に妬みや憎しみの対象としてきた世界の未来にも影響するだろう。

[参考文献]
山岸敬和(2014)『アメリカ医療制度の政治史――二〇世紀の経験とオバマケア』名古屋大学出版会

山岸敬和(Takakazu Yamagishi)
1972年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。慶應義塾大学法学研究科政治学専攻修士課程修了。ジョンズ・ホプキンス大学政治学部にて、Ph.D(Political Science)取得。南山大学外国語学部英米学科教授を経て、現職。専門はアメリカ政治、福祉国家論、医療政策。主な著書に"War and Health Insurance Policy in Japan and the United States: World War II to Postwar Reconstruction"(Johns Hopkins University Press)、『アメリカ医療制度の政治史──20世紀の経験とオバマケア』(名古屋大学出版会)などがある。

当記事は「アステイオン93」からの転載記事です。
asteionlogo200.jpg



アステイオン93
 特集「新しい『アメリカの世紀』?」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス

(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

「安保の状況根底から変わること危惧」と石破首相、韓

ビジネス

欧州経済、今後数カ月で鈍化へ 貿易への脅威も増大=

ビジネス

VWブルーメCEO、労使交渉で危機感訴え 労働者側

ワールド

プーチン氏、外貨準備の必要性を疑問視 ビットコイン
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦
特集:サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦
2024年12月10日号(12/ 3発売)

地域から地球を救う11のチャレンジと、JO1のメンバーが語る「環境のためできること」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    健康体の40代男性が突然「心筋梗塞」に...マラソンや筋トレなどハードトレーニングをする人が「陥るワナ」とは
  • 2
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 3
    【クイズ】核戦争が起きたときに世界で1番「飢えない国」はどこ?
  • 4
    韓国ユン大統領、突然の戒厳令発表 国会が解除要求…
  • 5
    NewJeansの契約解除はミン・ヒジンの指示? 投資説な…
  • 6
    BMI改善も可能? リンゴ酢の潜在力を示す研究結果
  • 7
    肌を若く保つコツはありますか?...和田秀樹医師に聞…
  • 8
    混乱続く兵庫県知事選、結局SNSが「真実」を映したの…
  • 9
    ついに刑事告発された、斎藤知事のPR会社は「クロ」…
  • 10
    JO1が表紙を飾る『ニューズウィーク日本版12月10日号…
  • 1
    BMI改善も可能? リンゴ酢の潜在力を示す研究結果
  • 2
    エリザベス女王はメーガン妃を本当はどう思っていたのか?
  • 3
    健康体の40代男性が突然「心筋梗塞」に...マラソンや筋トレなどハードトレーニングをする人が「陥るワナ」とは
  • 4
    ウクライナ前線での試験運用にも成功、戦争を変える…
  • 5
    メーガン妃の支持率がさらに低下...「イギリス王室で…
  • 6
    NewJeansの契約解除はミン・ヒジンの指示? 投資説な…
  • 7
    「時間制限食(TRE)」で脂肪はラクに落ちる...血糖…
  • 8
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 9
    エスカレートする核トーク、米主要都市に落ちた場合…
  • 10
    バルト海の海底ケーブルは海底に下ろした錨を引きず…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
  • 10
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中