最新記事

アメリカ

医療保険は「アメリカンドリーム」の1つだった

2021年2月11日(木)11時40分
山岸敬和(南山大学国際教養学部教授)※アステイオン93より

オバマケアに反対する共和党のジョン・ベイナー院内総務はオバマケアは「ヨーロッパ型の福祉国家」への道を歩むものであり、それは「アメリカ的気質に合わない」として警戒心を煽った。連邦政府の権力の拡大、連邦政府による医療の乗っ取り、患者の医療に関する選択の自由の制限など、アメリカの伝統的価値に反すると訴えた。

2008年の選挙でオバマが使用した「チェンジ」というスローガンは、何を変えようとしているのかが明確でないなどと言われた。しかし政治学者の渡辺将人がいうように、多様性をデファクトとして認め、同時にもう一層別に統合的な「アメリカ」というアイデンティティを持つためにアメリカ人は「チェンジ」すべきだとオバマは説いていたのだ。2000年代に入って先鋭化した政治の分極化の中で、アメリカを国家としてまとめ上げる新たなアメリカニズムを作ろうとしたのである。しかし8年の任期は、さらなる分極化を見るだけであっけなく終わってしまった。

メディケア・フォー・オールへの動き――新型コロナウイルス、中国との戦い


2016年の大統領選挙に当選したのは、政治の分裂をさらに煽るドナルド・トランプであった。オバマ政権否定、民主党否定の象徴として、オバマケアの廃止を公約とした。そして2017年末の税制改革の中で、オバマケアが定めた無保険者へのペナルティをゼロとすることでオバマケアを骨抜きにした。ただトランプは、オバマケアを廃止することによって何か新たな統合のための価値を示そうとしたわけではなかった。

民主党左派からは一つの答えが提示された。それが「メディケア・フォー・オール」案であった。これは高齢者を対象とする公的保険であるメディケアをモデルにしたものを全住民に適用しようという案で、医療保障は人権であるとより明確に位置付けるものである。主な支持者であるバーニー・サンダースが自ら民主社会主義者を名乗っていることからも分かるように、これまで反対派の武器となってきたレトリック「社会主義的医療」に対して全面対決の姿勢をとるものであった。アメリカの伝統的価値への明らかな挑戦であった。ただそれ故に、共和党からは強硬な反対、民主党内からも多くの議員から慎重な姿勢が示された。

そのような歴史的タイミングで新型コロナウイルスがアメリカを襲った。医療費が高いアメリカでは、感染症の治療のために平均で一人当たり約370万円の費用がかかる。全額負担が容易な額ではない。その結果、無保険者はもちろんいわゆる低保険(保険料は安いが窓口負担が高い保険)に加入している者は検査や治療を控える。そして、この医療格差のラインが、テレワークができるかできないかの経済格差のラインと重なることによって、経済的弱者の感染リスクが増す。また経済的格差のラインが人種のラインとも重なっていることも重要である。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

仏クレディ・アグリコル、第1半期は55%増益 投資

ビジネス

ECB利下げ、年内3回の公算大 堅調な成長で=ギリ

ワールド

米・サウジ、安全保障協定で近く合意か イスラエル関

ワールド

フィリピン船や乗組員に被害及ぼす行動は「無責任」、
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 4

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 5

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 6

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 7

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 8

    中国のコモディティ爆買い続く、 最終兵器「人民元切…

  • 9

    「複雑で自由で多様」...日本アニメがこれからも世界…

  • 10

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 5

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 9

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 10

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中