医療保険は「アメリカンドリーム」の1つだった
オバマケアに反対する共和党のジョン・ベイナー院内総務はオバマケアは「ヨーロッパ型の福祉国家」への道を歩むものであり、それは「アメリカ的気質に合わない」として警戒心を煽った。連邦政府の権力の拡大、連邦政府による医療の乗っ取り、患者の医療に関する選択の自由の制限など、アメリカの伝統的価値に反すると訴えた。
2008年の選挙でオバマが使用した「チェンジ」というスローガンは、何を変えようとしているのかが明確でないなどと言われた。しかし政治学者の渡辺将人がいうように、多様性をデファクトとして認め、同時にもう一層別に統合的な「アメリカ」というアイデンティティを持つためにアメリカ人は「チェンジ」すべきだとオバマは説いていたのだ。2000年代に入って先鋭化した政治の分極化の中で、アメリカを国家としてまとめ上げる新たなアメリカニズムを作ろうとしたのである。しかし8年の任期は、さらなる分極化を見るだけであっけなく終わってしまった。
メディケア・フォー・オールへの動き――新型コロナウイルス、中国との戦い
2016年の大統領選挙に当選したのは、政治の分裂をさらに煽るドナルド・トランプであった。オバマ政権否定、民主党否定の象徴として、オバマケアの廃止を公約とした。そして2017年末の税制改革の中で、オバマケアが定めた無保険者へのペナルティをゼロとすることでオバマケアを骨抜きにした。ただトランプは、オバマケアを廃止することによって何か新たな統合のための価値を示そうとしたわけではなかった。
民主党左派からは一つの答えが提示された。それが「メディケア・フォー・オール」案であった。これは高齢者を対象とする公的保険であるメディケアをモデルにしたものを全住民に適用しようという案で、医療保障は人権であるとより明確に位置付けるものである。主な支持者であるバーニー・サンダースが自ら民主社会主義者を名乗っていることからも分かるように、これまで反対派の武器となってきたレトリック「社会主義的医療」に対して全面対決の姿勢をとるものであった。アメリカの伝統的価値への明らかな挑戦であった。ただそれ故に、共和党からは強硬な反対、民主党内からも多くの議員から慎重な姿勢が示された。
そのような歴史的タイミングで新型コロナウイルスがアメリカを襲った。医療費が高いアメリカでは、感染症の治療のために平均で一人当たり約370万円の費用がかかる。全額負担が容易な額ではない。その結果、無保険者はもちろんいわゆる低保険(保険料は安いが窓口負担が高い保険)に加入している者は検査や治療を控える。そして、この医療格差のラインが、テレワークができるかできないかの経済格差のラインと重なることによって、経済的弱者の感染リスクが増す。また経済的格差のラインが人種のラインとも重なっていることも重要である。