医療保険は「アメリカンドリーム」の1つだった
オバマケアの成立――アメリカニズムの矛盾との戦い
20世紀が終わりを迎える時、世界はアメリカ一極体制を目の当たりにしていた。アメリカの伝統的価値観に対抗する政治形態はありえないと信じられ、フランシス・フクヤマはそれを「歴史の終わり」と評した。アメリカはまさに全世界の手本となる「丘の上の町」の地位を手に入れたとも見えた。21世紀に入るとすぐにその足元を揺るがす事態が起こる。
2001年のアメリカ同時多発テロ事件は、アメリカの覇権に対する反発であるとともに、アメリカの伝統的価値観への攻撃でもあった。しかし、レーガンが復活させたように見えた古き良きアメリカは、経済格差問題や人種問題を解決できないままであることが明らかになっていた。アメリカは国内外からの圧力を受けて、アメリカニズムを見直す作業を強いられた。
そこで起きたのは政治の分極化である。共和党内ではティーパーティ(茶会勢力)やリバタリアニズム(自由至上主義)の勢力が大きくなる一方で、民主党からもウォール街占拠デモが現れた。それまでは重要法案であっても超党派での合意形成が図られてきたが、分極化が進む中で次第に困難になっていった。
そのような状況の中で政治問題として浮上したのが無保険者問題である。21世紀に入ると、雇用に紐づく雇用主提供保険を基盤とするシステムの限界がより明らかになった。無保険者数は、2008年には人口比約15%に及んだ。
バラク・オバマは、医療制度改革を公約にして2008年に当選を果たした。政権発足後まもなく2010年3月、オバマケアと呼ばれる改革案を成立させた。懸案となっていた雇用主提供保険に加入できない層を州ごとにプールし、新設の医療保険取引所で保険を購入させる。さらに購入を容易にするために補助金を提供する。
オバマケアは皆保険に大きく近づく一歩であったものの、既存の医療保険システムの根幹には大きな変更は加えられてなかった。民間保険を購入するという仕組みは維持され、雇用主提供保険を中心とするシステムも温存された。また医師や病院などの医療提供側には大きな改革の手が入らなかった。これまで皆保険に対して徹底抗戦で臨んできたアメリカ医師会や民間保険業界などが、オバマケアには賛同したことがオバマケアの限界を象徴した。
オバマケアは本来超党派で成立させることが可能なものであった。その核となる部分は、保守系シンクタンクで考えられたものであり、マサチューセッツ州で超党派の合意によって実施されたものをモデルにしていた。しかし連邦議会では、オバマケアに賛成する共和党議員は一人もいなかった。それには政党の分極化が色濃く影響していた。