習近平の軍民融合戦略と、それを見抜けなかった日本
抗日戦争勝利70周年 北京で軍事パレード(2015年9月3日) REUTERS/Andy Wong
習近平は総書記になった瞬間から軍民融合戦略を打ち出して軍の利益集団を倒し、今では米軍よりも軍事力で優位に立っている。だが全てを権力闘争に結び付けた日本のメディアが中国の真相を見えなくした。もう遅い。
習近平の「軍民融合発展戦略」とは
2012年11月15日、第18回党大会一中全会で中共中央軍事委員会主席に選ばれた習近平は、その年の12月23日、軍事委員会常務委員会で「軍民融合は我が軍を建設する基本だ」と言い、12月26日の軍事委員会拡大委員会で過去10年間の(江沢民時代)の軍隊建設を振り返って、「われわれは何としても軍民融合の道を歩まねばならない」と強調した。
2013年3月11日および2014年3月11日、全人代の解放軍代表団全体会議で「軍民融合を国家戦略のレベルに引き上げなければならない」としながらも、「体制的障害と利益集団の存在が障害として立ちはだかっており、未だに融合できない状況が続いている」と、「軍民融合の難しさ」に警鐘を鳴らした。
「軍民融合」とは何かというと、「経済建設と国防建設を一体化して国家の繁栄と安全を守っていこう」というもので、建国以来のソ連式軍事力増強方法からの徹底的な脱却を図ったものである。
旧ソ連では米ソ冷戦の中、アメリカと対抗して短距離的に軍事力増強を優先したために膨大な国防費を使い果たし、かつ軍事産業に関しては専ら国営企業に頼っていたので、膨大な国費の消耗と、国営企業という非能率的な生産体制によって旧ソ連は崩壊したという側面を持つ。
またトウ小平は改革開放を始めると同時に中越戦争を起こし、「引き分け」に終わったとしているが、実際は「勝てなかった」=「敗北している」。そこでトウ小平は無駄な中国人民解放軍を百万人削減して、毛沢東時代に沿海の地を避けて建てられた多くの軍事産業基地を民間工場に転用した。その流れの中で軍民融合を図ろうとしたが、稚拙な産業基盤に、結局はソ連式にしか頼れなかったことから失敗している。
江沢民時代には中共中央総書記と中央軍事委員会主席および国家主席の三大権力を一身に持つに至ったため、政治界に関しては「ぽっと出」の江沢民はたちまち権勢欲と名誉欲そして何よりも金銭欲の虜になってしまい、救いがたいほどの利益集団を形成してしまった。新中国が誕生するまでの中国革命に参加したこともなく、父親が日本軍の傀儡「汪兆銘政権の官吏であった」ことなどから、三つ子の魂百までで性分は変えられず、たちまち金銭欲の虜になり、「軍を中心とした利益集団天国」を創り上げてしまった。胡錦涛政権は「チャイナ・ナイン」(中共中央政治局常務委員会委員9名)の内の6名を江沢民派が占めた上、軍事委員会はみな江沢民の利益集団によって独占されたので、胡錦涛は何もできなかった。