在日朝鮮人戦犯、最後の生存者 歴史の片隅に追いやられた75年
「死の鉄道」建設
1943年、李さんは鉄道建設に動員された連合国軍捕虜500人を監視する仕事に就いた。のちに「死の鉄道」として知られるようになる泰緬鉄道だ。
全長415キロ、建設中に約1万2000人の捕虜が過労や暴力で死亡した。その悲惨な状況は、1957年の映画「戦場にかける橋」で有名になった。
ロイターが確認した裁判記録によると、捕虜たちは「トカゲ」として知られる李さんを最も残忍な看守の1人として覚えていた。
オーストラリア人捕虜だったオーステン・ファイフさんは、李さんから、竹の棒で後頭部を殴るなど何度も暴力を振るわれたと証言。医療品が不足する中、診療所を訪れた捕虜のうち「働けそうな人を殴っていた」との証言記録もある。
記録によると、李さんは法廷で「肩の辺りをわずかに押した」と述べ、残忍な行為は否定している。朝鮮人は最下層の軍人・軍属として、命令に従ったに過ぎないと証言している。
拘置所を出た李さんは、朝鮮人の戦犯らとタクシー会社を始めた。韓国にいる母親が亡くなった際は、裏切り者と言われるのを恐れて葬儀に出席しなかった。
「両親と兄弟以外、誰も私を歓迎してくれなかった」と、李さんは言う。
日本の最高裁は1999年、李さんをはじめとする韓国人戦犯による賠償請求を棄却した。2006年、韓国政府は彼らを日本の帝国主義による犠牲者と認定したが、日本在住者には何の補償もしなかった。韓国で暮らす人は、医療費の補助を受けることができるようになった。
助けなしで歩けなくなった李さんは、車椅子で運動を続けている。6月には国会を訪れ、朝鮮人の戦犯とその家族を補償する法案提出を議員に働きかけた。
「95歳まで生きられたのは幸運だったし、自分のために長生きしたいとは思わない。しかし、死んだ同志のために戦わないわけにはいかない」と、李さんは話す。
(Ju-min Park 編集翻訳:久保信博)
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