反米同盟の再構築に向けて、中南米の左派政権に接近するイランを注視せよ
Iran Trying to Get Back into Latin America
ガソリンを積んだイランのタンカーがベネズエラに到着した(5月25日) MIRAFLORES PALACE-REUTERS
<ベネズエラをはじめ、かつて蜜月だった中南米諸国の左派政権との関係を復活させようとイランが動き出した>
新型コロナウイルスのせいで世界中の空港に閑古鳥が鳴くなか、4月下旬にイランが南米ベネズエラへの旅客機運航を再開した。石油業界筋によれば、さびついた製油所の操業再開に必要な資材や人材に加え、ニコラス・マドゥロ政権の治安部隊を訓練する軍事顧問団や軍用ドローンも運んでいる。その対価として、帰国便に5億ドル相当の金塊が積み込まれたとの報道もある。
5月にはガソリン満載のタンカー5隻がイランの港を出た。こちらの行き先もベネズエラとされる。
表面上は、かつての同盟国からのSOSに応えた人道支援に見えなくもない。しかし忘れるなかれ。イランには中南米でやり残した大きな仕事がある。そしてどうやら、マドゥロ政権を通じて、この地域への影響力を再構築したいらしい。
言うまでもないが、かつてイランは中南米でそれなりの存在感を示していた。ベネズエラとの関係も、共に1960年のOPEC(石油輸出国機構)創設に加わったときにさかのぼる。その19年後の革命で親米の国王を追放したイスラム共和国イランは、キューバやニカラグアと緊密な関係を築き、アメリカの影響力拡大を阻止するために両国の共産主義政権と連携した。
1998年にベネズエラ大統領に選出されたウゴ・チャベスは、イランの手を借りて石油産業の国営化などを進める一方、ボリビアのエボ・モラレス前大統領やエクアドルのラファエル・コレア前大統領との間を取り持ち、イランが中南米で同盟国を増やすのに一役買った。
イランとベネズエラが急接近した背景には、チャベスと2005年に就任したイラン大統領マフムード・アハマディネジャドの個人的な親近感がある。両人は頻繁に訪問を重ね、多くの協定を結んだ。しかし13年にチャベスが死亡し、アハマディネジャドが退任すると関係は途絶した。
高額な投資が次々に頓挫
巨額の投資の見返りが少ないことにイランの最高指導部(つまり宗教的指導者)がいら立ったという説もある。ベネズエラ政府と合弁で立ち上げた「反帝国主義」の自動車工場は一度も生産目標を達成できず、品質が悪くて売れなかった。両国間の航空路線は採算に乗らず、石油関連の合弁事業もイラン側のうまみは少なく、新規油田の採掘は頓挫した。
しかもチャベス後継のマドゥロ現大統領は無能で国家財政をまともに管理できず、腐り切った取り巻きを次々と要職に就けて権力を維持するのみ。おそらく、イランも愛想を尽かしていたはずだ。