天安門事件の教訓にアメリカが学ぶとき──血の弾圧は独裁国家でなくても起こる
Tiananmen Can Happen Here
つかの間の「北京の春」には違う未来が見えていた。それは過去と無縁の未来ではない。皇帝と軍閥の圧政に怒って祖先たちが闘ったように、天安門広場の若者たちも丸腰で権力に立ち向かった。人々の声に耳を貸そうとした趙は、すぐさま鄧小平(トン・シアオピン)に処分された。その後何日も、いや何年も、北京の人々は長安街や虎坊橋駅、正陽門で、何かを夢見て射殺された若者たちの死を悼んだ。
それから31年後の今、アメリカでは警官と州兵がデモの鎮圧に乗り出している。催涙ガスを浴びた目を水で洗い、けがの手当てを受けてデモを続ける若者たち。行進し、歌い踊り、ほぼ実現不可能な要求を指導層に突き付けるアメリカ人の姿は、私の目には31年前に天安門広場を埋めた若者たちの姿と重なる。
中国共産党は天安門事件をなかったことにしようとしている。しかし亡くなった学生や国外に逃れた学生の親たちが記憶の炎を消すことはない。中国当局は事件後に亡命した活動家らが祖国の家族や友人と一切連絡を取れないようにし、彼らを孤立させて、惨めな亡命生活を送るよう仕向けている。新疆ウイグル自治区でイスラム教徒にむごい弾圧を加えているように。
命令に背いた軍司令官
だがアメリカ人は天安門事件を、市民の自由を脅かす公権力の暴走とは見なしていない。アメリカの統治とは無関係な事件、中国の問題だと考えている。ロサンゼルス暴動の発端となったロドニー・キング事件、黒人青年のマイケル・ブラウンが白人警官に射殺された事件、そして黒人男性ジョージ・フロイドが白人警官に首を押さえ付けられ死亡した事件。これらと天安門事件は無関係だと思っている。
アメリカ人にとって天安門事件は遠い国の遠い過去の出来事にすぎない。中国のような独裁国家では起きても、アメリカではまずあり得ない出来事だと、誰もが思っている。アメリカ人は1920年にフロリダ州オコイーで、その翌年にオクラホマ州タルサで、そして1970年にオハイオ州ケントで起きた黒人虐殺など忘れてしまったようだ。
デモの鎮圧のため首都ワシントンの郊外に派遣された米軍の兵士たち。地元警察の対応にいら立ったホワイトハウスは「秩序の維持」という漠然とした名目で彼らをデモ隊と対峙させようとした。