すばらしい「まだら状」の新世界──冷戦後からコロナ後へ
「まだら状」の秩序は中東やイスラーム圏にのみ限定されるものではない。オスマン帝国やペルシア帝国と並んで前近代のユーラシアの秩序を形成していたロシア帝国の周辺領域もまた、秩序が「まだら状」になりやすい条件を備えていると考えられる。これについては廣瀬陽子(慶應義塾大学教授)に「南コーカサスにおける非民主的な「安定」」を寄稿していただいた。さらに、清水謙(立教大学助教)「変わりゆく世界秩序のメルクマール―試練の中のスウェーデン」が示してくれているように、自由主義や民主主義の理念が最も安定して実現していると考えられてきた北欧にも、内なる動揺は忍び寄っているようである。岩間陽子(政策研究大学院大学教授)による「権威主義への曲がり角?―反グローバリゼーションに揺れるEU」と、近藤大介(ジャーナリスト)「習近平の社会思想学習」によって、特集の視野は全世界に及んでいる。
コロナの夜が明けた後の「すばらしい」世界秩序
冷戦後の秩序に染み出してきた斑点のような、変質の兆しを各地の政治の現実から読み解く本特集をどうにか編み終えた時、新型コロナウイルスの爆発的伝播によりグローバル化は急停止し、近代初期か、あるいはそれ以前の状態にまで巻き戻された。国境は閉ざされ、国家はその国民を呼び戻し、グローバルな移動の自由を享受していた人々は不意にその国籍と登録居住地に縛り付けられた。そこに民族の一体感や連帯感は乏しい。国民を呼び戻した国家は、慌ただしく「点呼」するかのように人々を数えるが、その後集団として動員するのではなく、分断し、隔離する。人々はそれぞれの部屋に閉じこもり、人と人との繋がりを極限まで断つことを求められている。公衆衛生のために、人々の私的自由と権利は大幅に制限された。
コロナの夜が明けた時に、世界秩序はどう変わっているのだろうか。グローバル化のインフラに乗って、ウイルスという斑点が急激に現れ、繋がって世界を覆った過程を、われわれはまだ正確に追えていないし、その当面の帰結を飲み込めていない。長期的な帰結についてはなおさらだろう。世界が一変するその直前に、「まだら状の秩序」を凝視する作業によって変化の片鱗を見出そうとしていたわれわれの営為は、危機が去った後に、どのように見えてくるのか。本誌が刊行され、どれだけの時間をかけてでも、いつか読者の目に届いた時に、世界はどう見えているのだろうか。新しい世界が「すばらしい」ものであることを祈っている。
池内恵(Satoshi Ikeuchi)
1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。国際日本文化研究センター准教授、アレクサンドリア大学(エジプト)客員教授東京大学先端科学技術研究センター准教授を経て、現職。専門はアラブ研究。著書に、『現代アラブの社会思想』(講談社)、『アラブ政治の今を読む』(中央公論新社)、『書物の運命』(文藝春秋)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、サントリー学芸賞)など。
『アステイオン92』
特集「世界を覆う『まだら状の秩序』」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
CCCメディアハウス
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