日本版ロックダウンでできること、できないこと
日本では、警察官職務執行法に基づく職務質問や警察法に基づく交通検問によって実質的に外出禁止や交通封鎖を実現せよ、という声もある。それも不可能ではないが、そもそも人々の外出自体を規制し、違反者に刑罰を科すことは難しい。外出自粛の要請が刑事罰で担保されていないからだ。アメリカでは、例えばハワイ州のデイビッド・イゲ知事は3月23日、「自宅待機・在宅勤務」を求める外出禁止令を出したが、これはハワイ州法(HRS)127条A-25などに基づく行政命令だ。違反した者には5000 ドル以下の罰金や1年以下の禁錮が科せられることになっており、実際多くの警察官が市中を巡回し、違反者がいないかを取り締まっている。
強制力がない中、いかにして社会の秩序を維持できるかという懸念もある。東日本大震災の場合は被災地に他の都道府県警から支援部隊を派遣することが出来た。しかし今回の脅威は、全国で多発的に発生している。自衛隊の治安出動は例外的な切り札であり発動例はこれまで1回もない。日本では、緊急事態下で公共秩序維持の実効性を確保するための特別な法的根拠は実はないに等しい。
これまでにも有事法制の「欠缺(けんけつ)」を指摘する声はあった。しかし日本は、国家が秩序を維持するための強制力を、憲法はもちろん法律に書き込むことにも、極端なまでに消極的である。集団的自衛権行使の解釈変更や共謀罪導入の際にも噴出したように、第二次世界大戦時の悲惨な被害と人権弾圧の記憶は国民に広く継承され意識下に沈殿しているようだ。
しかし、今回の新型コロナのような非常事態に必要なことは、国民の生命と身体を、人権保障と両立させながら、いかに守るかということである。主権者たる国民が自らの生存が脅かされる事態を想定して、必要な権限行使を明文で政府に授権することはむしろ立憲主義の要請とも言える。緊急事態条項を憲法に明記するかどうかの改憲議論は、濫用防止を懸念する声が強い中、慎重な議論を積み重ねる必要があるが、「緊急事態基本法」を法律レベルで整備する必要性は今回の新型コロナ禍で改めて明らかになったように思われる。
それでもコロナ禍を克服できる根拠
それにしても、サプライチェーンで隈なく接続され、空前の繁栄を誇ってきたグローバル社会が一つのウイルスによってここまで変容をとげることになるとは、誰が想像し得たであろうか。これは、米中新冷戦やロシア・サウジ間の資源紛争とは次元が異なり、現代のグローバル社会が初めて直面した本質的な脅威である。現段階で危機管理に成功した国は1つとしてない。日本政府がジレンマに悩むのも当然だろう。
国民国家を脅かしているのは、ウイルスの微小性および潜伏期間という二重の不可視性である。この見えざる脅威に対しては、政府・企業による対処だけでは不十分であり、日本の市民社会は政府・企業両セクターと手を携えて自ら立ち向かうべきだ。感染爆発を座視すれば集団免疫の成立またはワクチンの完成を待つ他に手がないことにもなりかねない。たとえ現時点で法令に強制力がなくとも、私達は自らの行動をもって補完することはできる。ウイルス感染拡大を阻止すべく自ら率先して行動する時だ。これが出来れば今回の危機も必ず克服できるだろう。
人類史には数多の疫病の災難が記録されているが、我々は今なお生きている。それが何よりの証左だ。
北島 純
社会情報⼤学院⼤学特任教授
東京⼤学法学部卒業。専⾨は戦略的パートナーシップ、情報戦略、腐敗防⽌。著作に『解説 外国公務員贈賄罪』(中央経済社)、論文に「外国公務員贈賄罪の保護法益に関する考察―グローバルな商取引におけるインテグリティ」(「社会情報研究」第1号)などがある。
2020年4月14日号(4月7日発売)は「ルポ五輪延期」特集。IOC、日本政府、東京都の「権謀術数と打算」を追う。PLUS 陸上サニブラウンの本音/デーブ・スペクター五輪斬り/「五輪特需景気」消滅?