かくも空虚な「上級国民」批判の正体
THE FAVORITISM QUESTION
所轄署の捜査に警視庁幹部が介入したのは、山口が安倍晋三首相と懇意であり(山口は安倍に密着した書籍を出している)、中村が菅義偉官房長官の元秘書官だったからでは、つまり政権から圧力が加えられたからではないかと疑われた。山口は2015年8月に書類送検されたものの1年後の2016年7月に嫌疑不十分で不起訴処分を受け、検察審査会でも起訴の判断は下らなかった。その後、伊藤は前述の民事訴訟を提起した。
民事訴訟の地裁判決は、伊藤側の勝訴。判決前に開かれた伊藤の支援集会で参議院議員の福島瑞穂は「捜査記録は高輪署にある。中村さんはその記録を全部見ているわけではない。なぜ(令状を)取り消すことができたのか」とまくしたて、一方の伊藤は静かに「知りたい」と繰り返した。「何を根拠に逮捕は必要ないと判断したのか。今でも知りたい」
伊藤は現在も事件のフラッシュバックに苦しむ。支援団体の元には「もみ消したことが許せない」というメッセージが届くという。
飯塚、石川、山口──いずれのケースも、「上級国民」とは不当に罪を免責され得る特権階級、との文脈で語られる。だがこの言葉が生まれたそもそものきっかけは、2015年に持ち上がった2020年東京五輪のエンブレム盗作疑惑だった。
飯塚・石川と山口の違い
デザイナーの佐野研二郎が考案したエンブレムについて、五輪・パラリンピック組織委員会の武藤敏郎事務総長は著作権侵害ではないが「一般国民から見て分かりにくいだろう」と発言。この「上から目線」を不快に思ったネットユーザーの間で「『上級国民』なら理解できる高尚なデザインなのか」という皮肉交じりの反発を生み、ネットスラングとして普及した。そして池袋の事故以後は、さらに認知が高まっていく。
ここに挙げた3人は、本当に「上級国民」なのだろうか。確かに、時をさらにさかのぼれば、「偉い人」が便宜を図ってもらったケースは存在する。
もみ消しの代表格と言えば、交通違反だ。特に大きく報道されたのが、2000年に白川勝彦衆議院議員(当時)の秘書らが逮捕された事件。白川は関与を否定したが、秘書が知人の速度違反の記録抹消を新潟県警に依頼したとして有罪判決を受けた。「当時は(もみ消しを)誰でもやっていたんじゃないですか」。被告の1人は筆者の取材に対してあっさりそう語った。
誰でもやっていた。こう証言する人物はほかにもいる。「平成の最初の頃まではあったんじゃないかな」。ある県の県議を父親に持つ地方議員は、父が支持者に頼まれて事故を「処理」していたと屈託なく述べた。警察を所管する関係上、都道府県の議会はこうしたもみ消しを依頼する力関係が生まれやすいという。
とはいえ、元通産省の官僚である飯塚と元特捜部長の石川が、適正な刑事手続きをねじ曲げて逮捕を回避したかという一点に絞り考えてみると、そうだとは言い切れない。
既に多くのメディアが指摘しているとおり、証拠隠滅や逃亡の恐れがないなど身柄を拘束する必要がない場合、逮捕しないことが原則だ。2人の場合、高齢かつ事故でけがを負ったことで勾留が難しかったという事情もある。死亡事故を起こしても被疑者本人がけがをしたため拘束されなかったケースは珍しくない。
ただ、山口のケースについては別途検討が必要だ。昨年12月18日の地裁判決後の記者会見で山口は「天地神明に誓って」、中村を含む誰にも逮捕状の「もみ消し」など依頼していない、と述べた。捜査が進んでいること自体を知らず、時系列的にもみ消しは不可能だとも主張した。