最新記事

日本社会

かくも空虚な「上級国民」批判の正体

THE FAVORITISM QUESTION

2020年4月18日(土)16時30分
澤田知洋(本誌記者)

署名に来た多くの人々は、まず理不尽に奪われた母子の命と残された夫に心を寄せていた。しかしそれぞれに断定調ではない話しぶりで「上級国民」の「不正」へ疑いのまなざしを向け、でも本当のところは分からない、と揺れていた。

筆者がある年若いカップルに「上級国民」という言葉を向けると、男性が「日本は平等だと言いたいけどそうじゃない。この件に限らず、平等なことは少ない」と諦め口調で苦笑しながら上級国民の存在を肯定。一方、連れの女性は「上級国民は存在しない。でもそんな雰囲気が出来上がっている」と軌道修正をした。

行き場のない被害者感情

上級国民はいる、いない。この処理できない感情に、最も苦しめられているのは被害者かもしれない。

「『怒り』についてのことは、『答えたくない』のではなく、『うまく答えられない』というのが正確と言いますか......」。池袋の事故で妻子を失った松永拓也(33)は、亡くなった妻と娘への愛で心を満たしていたい日々の気持ちと、捜査が一向に進まないなか募る加害者への処罰感情を葛藤の末、分けて考えようになり、ある程度整理がついたという。しかし飯塚への怒りは当然あり、「怒りや憎しみに囚われていると2人が悲しむ」との思いからそうした負の感情については口にするのは控えている、と苦悩もにじませた。その一方で、当事者ではない人々は、怒りに駆られて「上級国民だから」と、思いをむき出しにしている。

池袋の事故で一旦噴き出した感情は、「上級国民」という言葉を媒介として、過去にも「恵まれた人」が優遇されているとされる事例をつなぎ始めている。

時はさらにさかのぼる。2018年2月18日の朝、東京都港区で元東京地検特捜部長の石川達紘弁護士(当時78)が乗用車で歩道に突っ込み、男性をはね死亡させた。石川の運転するトヨタ・レクサスは男性を巻き込み、時速100キロ超のまま佐藤伸弘(50)が経営する金物店に突入。店は上階の居住スペースもろとも大破し、佐藤と家族は自宅兼仕事場からの退去を余儀なくされた。

「大げさかもしれないけど、僕の中の社会正義というのがなくなっちゃって」と佐藤は語った。事故のトラウマによる適応障害に苦しむ佐藤は、その克服の最大の壁になっているのが、元特捜部長であり事故当時から「上級国民」だとネット上で指弾される石川の処遇への疑念だと語る。

「どうせ仲間内でうまくやって、刑も軽くなって、っていう疑心暗鬼が僕の心の中を占めている」と、佐藤は言う。石川もやはり逮捕されないまま2018年12月に書類送検され、2019年3月に自動車運転処罰法違反(過失運転致死)などの罪で在宅起訴された。その後に池袋の事故が起き、2019年11月に筆者が取材に訪れると佐藤は刑事手続きへの不信感を口にした。

捜査を担当する東京地検の検事は「元特捜部だからといって甘いことをするつもりはない」と佐藤に語ったという。それは心の支えになっている、でも......と言いよどんで口をつぐみ、佐藤は自分の中に湧き出した不信感への戸惑いを吐露した。不正はないと信じたい気持ちと、もしかして、という気持ちが、被害者当人を苦しめていた。

そしてもう1人、時の権力と近いという理由で「上級国民」と名指しされた人物がいる。元TBSワシントン支局長の山口敬之だ。2019年12月18日、ジャーナリストの伊藤詩織が山口に対し性的暴行の損害賠償を求めた民事訴訟の判決が下されるとあって、東京地裁前には伊藤の支援者や傍聴希望者が大挙していた。

2015年4月3日、伊藤はアメリカでの就職について相談するため、東京都内で山口と会食。翌日未明にホテルで性的暴行を受けたとして、被害届を提出した。だが山口の逮捕は見送られ、当時警視庁の刑事部長だった中村格は週刊新潮の取材に対し山口の逮捕状の執行停止を「自分が決裁し」、逮捕を中止させたと認めた。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

マスク氏のテスラ巨額報酬復活、デラウェア州最高裁が

ワールド

米、シリアでIS拠点に大規模空爆 米兵士殺害に報復

ワールド

エプスタイン文書公開、クリントン元大統領の写真など

ワールド

アングル:失言や違法捜査、米司法省でミス連鎖 トラ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開したAI生成のクリスマス広告に批判殺到
  • 2
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 3
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 4
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦…
  • 5
    中国最強空母「福建」の台湾海峡通過は、第一列島線…
  • 6
    おこめ券、なぜここまで評判悪い? 「利益誘導」「ム…
  • 7
    ゆっくりと傾いて、崩壊は一瞬...高さ35mの「自由の…
  • 8
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 9
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 10
    ロシア、北朝鮮兵への報酬「不払い」疑惑...金正恩が…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 7
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 8
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 9
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 10
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 6
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 9
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 10
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中