日本一「日本」を伝える中国SNSの女神「林萍在日本」
華やかなだけじゃない
再び転機が訪れたのは2015年のこと。日中関係の緊張は和らぎ、円安効果も相まって、訪日中国人が急増する。いわゆる「爆買い」ブームだ。
訪日中国人は今後も増え続けるはず、日本語人材の需要も高まるはずと孫は予測し、2016年に生活の場を日本に移した。
ちょうどこの頃、SNSにも変化の波が訪れていた。ウェブサービスのはやり廃りは早い。ブログからSNS、ストリーミング動画、ショート動画と流行は猫の目のように変わっていく。
生き残るためには、その変化に合わせて自らを変えなければならない。それまでは文字と写真で伝えていた孫だが、日本移住を契機に自ら動画に出演し、自分というキャラクターを前面に押し出すインフルエンサーへと役割を変えていった。
この転換が功を奏し、トップの地位を築くことができたのだ。今では日本の商品や東京の流行スポットを紹介するだけでなく、日本全国を飛び回り(ほとんどの都道府県を訪れたという)、ブランディングに携わることもある。
しかし「華やかな仕事に見えるかもしれないけれど、実際は大変」と、孫は言う。目に見える仕事以外に、クライアントと打ち合わせをしたり企画書を書いたりと裏方の仕事も多くこなしている。
「インフルエンサーを使ったPRの長所は、見た人が面白いと思えばどんどん広めてくれること。だから面白いコンテンツを作り込まないと意味がないが、フォロワーが多い人が宣伝してくれればそれでいいぐらいに思ってる人もいっぱいいるみたいで」と、孫は言う。
「そういう人を説得して、面白いコンテンツを一緒に作ろうと説き伏せる、これは結構大変ですよ(笑)」