目立たないが軍事的重要性を増す日本の海保
The Ever-Evolving Importance of Japan’s Coast Guard
沖縄県の宮古島沖で違法操業していた中国漁船を追跡する海上保安庁の巡視船(2013年2月) REUTERS/11th Regional Coast Guard Headquarters-Japan Coast Guard
<警察機関でありながら、海上保安庁が日本の防衛に果たす役割は拡大し、実質的には重要な軍事力となっている>
日本の海上保安庁は1948年に設立された警察機関だが、開庁以来使っていた英語名「Maritime Safety Board(MSB)」を、2000年に「Japanese Coast Guard (JCG)」に改めた。MSBという名称ではその任務が海上警備なのか海上サービスなのか判然としないという海外からの声に応えたものだ。これによって、諸外国の沿岸警備隊・国境警備に相当する組織であることが明確になった。
2001年の中央省庁再編で管轄が運輸省から国土交通省に変わり、時を同じくして海上保安庁法の改正が行われた。それ以来、海上法の執行と捜索救助に限定されていた海上保安庁の任務は拡大し続けている。
そのなかには、日本の領海と排他的経済水域の監視取締り、密輸と密入国、著作権侵害、テロなどへの対応、外国漁船による違法操業の監視取締り、不審船や監視船への対応、外国海洋調査船による違法行為への対応、警告を無視する領海侵犯船舶に対する射撃。尖閣諸島など、紛争地域周辺海域のパトロールおよび警備などが含まれる。
日本を専門とする政治学者リチャード・サミュエルズが2007年に指摘していたように、海上保安庁の任務と権限の拡大は「冷戦終結以来、最も重要かつ最も目立たない日本の軍事力の発展」といえよう。
軍事行動に関与
軍事組織ではないにもかかわらず、海上保安庁は軍事行動に関与してきた。1999年には、海上保安庁の巡視船が能登半島沖を航行していた北朝鮮の不審船を追跡し、威嚇射撃を行った。この事件で、海上保安庁は海上自衛隊(JMSDF)に支援を要請した。海上自衛隊は、「海上警備行動」の発令のもとに、警告射撃で逃走する不審船を停船させた。これがいわゆる能登半島沖不審船事件である。
海上保安庁の巡視船による警告射撃は1953年以来のことであり、事件が海上保安庁の対応能力を超えているという判断で海上自衛隊に「海上警備行動」が発令されたのは、これが初めてのことだった。
2001年に不審船を相手に、「第二次大戦後初の本格的な交戦」を行ったのも海上保安庁の巡視船だった。東シナ海で北朝鮮の不審な工作船を追跡、強制捜査を試みたところ、不審船乗員が軍用レベルとみられる兵器で攻撃を加えてきため、巡視船側が自衛のために応戦した。
1999年の能登半島沖不審船事件をきっかけに、日本は海上保安庁と海上自衛隊の連携についてより真剣に考えるようになった。2015年からは海上保安庁と海上自衛隊が武力攻撃に至らない「グレーゾーン事態」を想定した共同訓練が開始されている。