韓国3大未解決事件「華城連続殺人」犯人が自白 映画は解決にどこまで迫った?
誘拐直後に殺害し身代金要求─「イ・ヒョンホくん誘拐殺人事件」
1991年1月29日、ソウル市の高級住宅エリア江南区に住むイ・ヒョンオ君(9歳)が夜の公園でブランコに乗っている姿を最後に行方不明になる。その夜自宅に男の声で電話があり、その後44日間、60回あまりにわたって身代金要求の電話が続いた。この間、警察は身代金の引き渡し現場で犯人を捕まえようと試みたがその度に失敗し、1カ月後に漢江公園近くの排水路でイ・ヒョンオ君の遺体が発見された。解剖の結果、死亡したのは誘拐直後と推定され、殺害後に身代金要求をしていたことに韓国国民は大きな憤りを感じた。
その後、事件の重要容疑者として、イ・ヒョンオ君の母方の叔父が捜査線上の上がる。身代金要求の電話の声を声紋分析した結果、叔父と完全に一致したからだ。しかし、この男にはアリバイがあり、警察はどうしてもそのアリバイを崩せず、声紋以外の証拠もなかったため、容疑者として特定することができないまま事件は迷宮入りとなってしまった。
軍部の関与? 「カエル少年事件」
1991年3月26日朝、大邱広域市に住んでいた5人の小学生が近くにある臥龍(ワリョン)山にサンショウウオの卵を取りに行ったまま行方不明になった。ただ、事件当初、サンショウウオをカエルと間違って報道されたため、この事件は「カエル少年事件」と呼ばれるようになった。「イ・ヒョンホくん誘拐事件」の直後だったこともあり、当時の盧泰愚大統領の特別指示で警察と軍が動員されて、臥龍山はもとより全国で捜査が行われたが、まったく手がかりがつかねぬまま捜査は打ち切られた。
ところが、事件のことなど誰も思い出さなくなった2002年、臥龍山にどんぐりを拾いに登った人が、山の中腹で5人の遺骨を発見した。法医学解剖により、子供たちは鈍器で殴られたり刺されたりした、と推定された。少年たちが行方不明になった当時この一帯は陸軍50師団の射撃場があり、よく子供たちが薬莢を拾ったりしていたという。このため、少年たちは軍により何らかの理由で殺害、遺棄されたのではないかとの説もあるが、何ら有力な手がかりもないまま未解決のままになっている。