インドネシア首都移転を大統領が正式表明 反響が薄い理由とは
過去に何度も浮上して消えた首都移転
さらに国民の関心が低く、盛り上がらない理由にジャカルタの首都移転は、実は過去にも何度も検討されそして消えて行った経緯がある"新しくて古い話"で、国民はそれをよく覚えていることもあるのだ。
初代スカルノ大統領は1957年に将来首都をカリマンタン島中カリマンタン州の州都パランカラヤに移転する構想を示したことがある。またスハルト大統領はジャカルタ南東約60キロにあるジョンゴル地区への移転を検討していた。
2009年にはスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領が首都移転に前向きの姿勢を示したため、複数の都市が誘致活動をしたこともある。しかしいずれも実現に結びついてはいない。
こうした経緯を知る国民は「どうせまた言うだけで実現しないだろう」と感じ、それでもジョコ・ウィドド大統領なら「やるかもしれない、でもいつになるやら、自分が生きているうちではないだろう」と期待と裏腹の諦観を抱いてしまうのだという。
一方で今回首都移転先の候補地と噂され、ジョコ・ウィドド大統領が現地視察したり、マスコミで候補地とされたりした場所ではすでに土地価格が高騰しているという。国会演説で具体的地名が示されなかった理由もそうした不動産市場への影響を考慮した結果という。
こうした事情に加えて2024年までの最後の任期の5年間にジョコ・ウィドド大統領が目玉とする政策が実はあまりなく、これまでの5年間に実績を上げた空港や港湾の新築、高速道路網整備、鉄道網拡充、エネルギー供給源の確保などのインフラ整備の継続や教育制度、健康保険制の改革ぐらいしかないのが実状である。
「首都移転」という夢のような国家的巨大プロジェクトを打ち上げることで経済効果など波及する付随的効果を狙っているのだろうが、推計で230~330億ドル(約2.6~3.7兆円)という巨額の移転経費をどう賄うのかを含めて今後の難航が予想されている。
こうした歴史的背景と政治的思惑などを知れば、インドネシア人が首都移転に熱くならないというか熱くなれない理由が理解できるだろう。
「ここまで首都移転の大風呂敷を広げた以上、何かしない訳にはいかないだろう」ということから一部でささやかれているのがごく限られた一部政府機能の移転というアイデアである。
絶滅が危惧されるオランウータンの生息地でもあるカリマンタン島だけに自然保護などを司る「森林環境省」や「観光省」を移転させるという構想で、これなら時間がかかるものの実現の可能性はなくはない。
しかし熱帯雨林を約30万ヘクタール(政府試算)も切り開くという「環境破壊」を実行しての「森林環境省」移転という「矛盾を抱える計画」に世論の同意が得られるかは疑問で、難問、課題山積の首都移転計画といわざるを得ない。
[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など
※8月27日号(8月20日発売)は、「香港の出口」特集。終わりの見えないデモと警察の「暴力」――「中国軍介入」以外の結末はないのか。香港版天安門事件となる可能性から、武力鎮圧となったらその後に起こること、習近平直属・武装警察部隊の正体まで。また、デモ隊は暴徒なのか英雄なのかを、デモ現場のルポから描きます。