福澤諭吉も中江兆民も徴兵制の不公平に注目した──日本における徴兵制(4)
branex-iStock
<高官や金持ちの子は兵役を免れ、戦地の前線に行かなくて済むという「不公平」。また、学校に行ったり、家庭を助けるために軍隊に志願する「経済的徴兵制」の議論は明治時代からあったことを尾原宏之・甲南大学准教授が指摘する。論壇誌「アステイオン」90号は「国家の再定義――立憲制130年」 特集。同特集の論考「『兵制論』の歴史経験」を4回に分けて全文転載する>
※第1回:徴兵制:変わる韓国、復活するフランス、議論する日本──日本における徴兵制(1)
※第2回:明治時代の日本では9割近くが兵役を免れた――日本における徴兵制(2)
※第3回:志願兵制と徴兵制はどちらが「自由」なのか?――日本における徴兵制(3)
中江兆民と福澤諭吉
徴兵制が抱え続けた「不公平」という問題もまた、多くの論者の関心を集めた。中江兆民は、論説「土著兵論」(明治二一年)のなかで、徴集されて死の危険にさらされるのは結局「小民の子弟」ばかりであると指摘している。高官や金持ちの子弟は徴兵令の免役・猶予条項を利用して兵役を免れるからである。福澤諭吉もちょうど同じころ、勅任官の子弟が徴兵に応じたという話をまったく聞いたことがないと手紙に記している。
兆民は、この不公平を是正し、常備軍を各地に駐屯させる費用を軽減するために、民兵制の導入を主張した。普段は自分の職業についている国民が、それぞれ居住地域の「調錬日」に集まって操銃や隊列運動の訓練を行う。全国の男子が日常生活のなかで訓練を重ねることで、ある程度の軍事技術と、愛国心、勇気、心身の壮健が得られる。日本中に民兵が充満することになるので、外敵が攻めてくればみな決起し、容易に敵を撃退することができる。
このような民兵制に基づく防衛構想は、主著『三酔人経綸問答』(明治二〇年)にも見られるもので、カントやルソーの常備軍廃止論、民兵論からも影響を受けたものと思われる。字義通り(男子)全員が軍事に平等に参加する、明治期兵制論の極点をなす主張であった。
福澤諭吉も、兆民と同じく不公平の是正をとば口として兵制の問題に介入した。福澤は明治一六年四月、みずからが創刊した日刊紙『時事新報』において徴兵論を発表する。この論説は翌年『全国徴兵論』という小冊子の一部となって刊行された。
福澤はこの論説で、「全国兵」(国民皆兵)こそが望ましい兵制であると主張する。第一に大量の兵を作り出すことができ、第二に公平であり、第三に国民の士気を向上させるという三つの利点があるからである。福澤は、全国民男子が兵役の義務を負うことは自明として議論を展開する。
ところが福澤は、小野梓と違って実際に国民皆兵制軍隊を構築せよとはいわない。たしかに、男子全員に兵役義務はある。しかしその義務は、金銭納入によっても果たすことができると主張するのである。
福澤の構想は次のようなものだ。男子は二〇歳になった時に、三年間現役兵として服役するか、三年間にわたって「兵役税」(試算では年五円、総計一五円)を納付するかを選択する。当然、多くの者が「兵役税」納付を選ぶので、結局は貧困層だけが三年間の兵役を担う不公平が生じるだろう。そこで、現役兵になる者には除隊時に「兵役税」を原資とした給付金(一名につき一〇〇円)を支払う。現役に応じる者が少なければ「兵役税」を引き上げて給付金を増額すればよいし、逆に現役に応じる者が多すぎれば体格要件を厳しくして優良な人材を選抜すればよい。
要するに、臆面もない「経済的徴兵制」のすすめである。現代の「経済的徴兵制」が一応は本人の志願を前提とするのに対し、福澤の「兵役税」論では、「兵役税」を払えない貧困層は自動的に服役になるから、より強制性が高い。当時の徴兵令では、不幸にも徴集された者にはなんの利益もないのに対し、福澤の説では給付金をもらえるというメリットはある。福澤は別の論説で「凡そ人間世界に銭を以て売買す可からざるものは殆んど稀なり」と述べていた。世の中に金で買えないものはほとんどない。兵役の苦痛も、結局のところ金銭で補償できるということであろう。