志願兵制と徴兵制はどちらが「自由」なのか?──日本における徴兵制(3)
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<志願兵制にすると、食い詰めた没落士族が喜んで志願し、旧武士階級が再び威張りちらし始めかねない......。こんな議論が明治時代にあったことを、尾原宏之・甲南大学准教授が論じる。論壇誌「アステイオン」90号は「国家の再定義――立憲制130年」特集。同特集の論考「『兵制論』の歴史経験」を4回に分けて全文転載する>
※第1回:徴兵制:変わる韓国、復活するフランス、議論する日本──日本における徴兵制(1)
※第2回:明治時代の日本では9割近くが兵役を免れた──日本における徴兵制(2)
「自由」の代償
民権派と呼ばれた人々の兵制論は、立志社建白のように参政権と兵役義務との関係に着目したものばかりではない。「自由民権」という言葉の、その「自由」にこだわる議論もあった。現役兵として徴集され三年間フルタイムの兵になれば、個々人の自由は著しく制限されることになる。そんな強制的徴兵制は一刻も早く廃止し、本人が自発的意志で軍務につく志願兵制を導入すべきである、という意見も非常に有力であった。
今日の「自由」という言葉の感覚からすれば、徴兵制を「良制」とする立志社建白よりも、こちらの主張のほうが多くの共感を集めるだろう。自分の行動を束縛されることをなによりも嫌う人々から見れば、政府が専制的であろうが民主的であろうが、徴兵制は悪制に決まっている。
たとえば、民権派色の強い新聞である『東京曙新聞』は、明治一二年の夏、社説「自由兵制」を五回にわたって掲載し、徴兵制を「強迫兵制」と呼び、「私人ノ自由権ヲ犯スノ所業」と強く批判した。それに代わるべきなのが「自由兵制」すなわち本人の自由意志に基づく志願兵制である。個人の自由を重視するタイプの民権思想家が志願兵論を唱える傾向はたしかにあり、著名な例でいえば植木枝盛もこれに該当する。
ただし、民権派にはそう簡単に志願兵論を押し出すことができない事情があった。個人の自由権を守るための志願兵制が、逆に自分たちの首を締め上げるかもしれなかったからである。
志願兵軍隊に入ろうとするのは、おもに旧社会の支配者から転落したばかりの士族である。食い詰めた貧乏士族ほど、狂喜乱舞して志願するはずだ。それは、横柄で、乱暴で、古臭い身分意識が染みついた武士階級が再び勢力を得ることを意味する。要するに〈逆コース〉である。彼らは自由と平等を唱える生意気な民権活動家を大喜びで抑圧するに違いない。最も恐ろしいのは、薩長藩閥政府がみずからの手の内の者を軍隊に招き入れ、私兵とすることである。結果として志願兵制は、藩閥の強大化につながることになってしまう。
民権派の葛藤
この民権派の葛藤を示す興味深い討論会の記録が、民権結社国友会の雑誌『国友雑誌』(第五五号・五六号、明治一五年)に掲載されている。最初の発話者は、『朝野新聞』編集長として知られ、自由党の創設にも参画した末広重恭(鉄腸)である。
末広は、過去に徴兵制を非難して義勇軍(志願兵制)導入を唱えたが、この討論会でその説を撤回した。熟考の結果、志願兵制には恐ろしい「害毒」があることが判明したからである。それはまさに、志願兵軍隊が貧乏士族に専有されて「封建ノ死灰」に再び火がついてしまう危険性、そして、すでに軍の将官と士官を寡占している薩長藩閥の下に薩長出身兵が集められる危険性であった。