習近平が仕掛ける「清朝」歴史戦争
Streamrolling Its own History
現在のために過去を利用
しかし、その先の解釈は割れている。国民党系の中国人歴史家は満州族を「外夷(がいい) 」と見なし、外国勢力による中国人の奴隷化と虐殺を放置したと非難した。
共産党があらゆる経済的・軍事的攻勢を正当化する口実に使う「屈辱の世紀」(おおむね1842年の南京条約から1949年の中華人民共和国建国まで)という概念は、国民党による「清の失敗の物語」に由来する。儒教は中国の伝統の核心だという習の主張も、同様に従来の共産党の主張とは異なっている(従来の共産党系歴史家は、清は他の王朝と同様、儒教によって中国の全人民を抑圧したという立場だ)。
20世紀後半、欧米と日本の歴史家は世界史レベルの幅広い比較の観点から近世の征服・支配の影響に焦点を当て、ロシア、オスマントルコ、清などの「陸上帝国」の影響を検証した。
特にアメリカの歴史家は、清を世界的に傑出した「征服帝国」と位置付け、そこでは力と富、暴力(虐殺を含む)、階級、文化的アイデンティティーが複雑に絡み合っていたと主張した。
清は中国征服前から既にかなりの規模の帝国であり、満州を統治し、モンゴル東部と朝鮮半島を影響下に置いていたと、彼らは指摘した。さらに中国征服後も発祥の地・満州の痕跡を色濃く残していたと主張した。清帝国が征服を通じて明の2倍の大きさに成長した事実も、アメリカの歴史家は強調した。
歴史の再構成を図る習の戦略は、国民党と共産党の歴史解釈を「いいとこ取り」して発火性の高いナショナリズムを加え、グローバル化した比較歴史学の影響を断固排除することだ。
習は征服史の代わりに巨大な文化・経済大国という新たな清のイメージを掲げ、その魅力ゆえにモンゴル、チベット、中央アジア、台湾の住民は喜んで帝国に服従したのだと主張した。
13年の国家主席就任後、習の政権は(筆者を含む)外国の清史研究者に対する敵意に満ちた攻撃を指示した。この攻撃は今も続いている。
外国人歴史家は新たな衣をまとった帝国主義者と揶揄され、他の帝国と比較することで中華王朝としての清の独自性をおとしめたと非難された。中国の論文は外国人研究者を「歴史ニヒリスト」と呼び、帝国主義とグローバル化の視点から歴史的事実を書き換えていると批判した。
清の最大版図は自然かつ平和裏に実現したという見方は、現在の中国が南シナ海、台湾、チベット、新疆の領有権を主張する根拠となっている。その根底には、領土主権はそれを主張する国の歴史的版図によって正当化されるという前提がある。