ミャンマー軍家系で仏教徒の私が、ロヒンギャのために戦う理由
――わりと最近の話だ。
そうだ。もちろん、その前から徐々にロヒンギャという言葉を耳にするようにはなっていたが、詳しく知らなかったので彼らが抱えていた問題はまだ私の人生にとってさほど意味のあることではなかった。国際会議でロヒンギャの人に会う機会もあったが、挨拶を交わした程度だった。私の関心がミャンマー全体の民主化に向いていたので、特定の少数民族に対する意識はあまり高くなかったことも影響したと思う。
ロヒンギャ問題の深刻さに気付いたのは08年ごろ。弾圧を受けた少数民族に対するボランティア活動をしていた英国人の妻を通じてのことだった。彼女はロヒンギャを研究していて、彼らとの人脈もあった。
08年か09年ごろ、学者の間でロヒンギャに対する「人道上の罪」が叫ばれたことがあり、私はロヒンギャの人権に関する報告書を手にした。それが、ロヒンギャ弾圧を批判する活動を始めたきっかけだ。
――その時の感情は?
ミャンマー政府に対する怒りと悲しみでいっぱいだった。
――ロヒンギャ弾圧を非難する声は国際社会を含めて多数ある。だがあなたの立場は非常にユニークだ。
確かに。そもそも私はロヒンギャではない、仏教徒のミャンマー人だ。ご存知の通り、多くの仏教徒ミャンマー人は積極的、非積極的にかかわらず政府のロヒンギャ弾圧を支持している。
さらに、私は軍の家系に生まれ育った。軍はロヒンギャ弾圧を主導する中心的存在の1つだ。
――子供時代から軍に対して疑問を持っていた?
そうではない。今でこそ私は軍をファシストと呼んでいるが、幼少期は軍の家系に生まれたことがとても誇らしかった。私の叔父は空軍のエリート戦闘機パイロットで、ネウィン将軍の専属VIPパイロットを務めたこともある。その他、親戚には多くの軍高官がいた。
実際、当時多くのミャンマー人にとって軍人になることは最も栄誉あることだった。ミャンマー人は愛国心が強く、植民地支配に対する反発も強かったので、国家に対する愛情を示す最高の手段は軍に入ることだと思われていた。「ミャンマー的武士道」とでもいうのだろうか。そうした精神が支配的だった。
――自身は入隊を考えなかった?
考えたことはあったが、私は学生の頃から英語に堪能で、その技能が生かせる職に就きたいと思っていた。