沖縄県知事選挙に吹く、新しい風
沖縄の若い世代の動向が注目される (写真はイメージ) Electra-K-Vasileiadou
<今回の沖縄県知事選挙は、前回と比べ、大きく構図が変化している。そして、そのカギとなるのが、若い世代の動向だ>
今回の沖縄県知事選挙は、前回と比べ、大きく構図が変化している。その最大の要因は、公明党が保守系候補への支援を表明したことに加え、それに維新が相乗りする形となったため、前回のオール沖縄の得票をしのぐ勢いであることだが、もう一つ、新しい旋風も巻き起こっている。それは、翁長雄志前知事が提起したアイデンティティ論に対するアンチテーゼの台頭と、それを巡る世代間の関係の変化だ。
今回も最大の争点が辺野古基地建設の是非をめぐる問題であることは間違いない。たとえ一方の候補が辺野古反対を鮮明にしているのに、他方が立場を明らかにしていないにしても、後者を選ぶことが辺野古の問題にどのような結果をもたらすかを知らないほど、沖縄の有権者はナイーブではない。その意味で、争点は明確だ。
歴代の沖縄県知事選挙では、基地問題を巡って、保守勢力と革新勢力とが、熾烈な争いを展開してきた。その伝統的な保革対立構造は、前回の選挙の際、保守の翁長氏がアイデンティティ論で、革新勢力とともに「オール沖縄」をまとめあげたことにより、いったん崩れたが、今回は保守が巻き返し、元の構図に戻りつつある。
では、どうして保守が巻き返してきたのか。そこには、世代交代という要因が大きく関わっている。
保守の世代交代
かつて沖縄の保守を代表する政治家、西銘順治元沖縄県知事は、ウチナーンチュの心とは「ヤマトンチュになりたくて、なり切れない心」と喝破した。こうした葛藤は、戦後の米軍統治を経験し、本土復帰後もいわれのない差別や偏見を受けてきた世代のウチナーンチュにとっては、保守革新の別なく、等しく共有されてきた。翁長前知事が唱えていたアイデンティティ論に共鳴する人が多かった背景には、こうした歴史的体験があったのだ。
ところが、最近の保守、特に若い世代の保守層には、こうしたアイデンティティ論は影が薄い。却って違和感を覚えるという人もいる。ことさらに沖縄のアイデンティティを主張することは、本土(日本)との関係において、徒に対立を煽るものと映るのだ。「対立から対話へ」と訴える佐喜眞淳候補は、そうした考え方の代表格だ。
復帰後に生まれ育った世代にとっては、自分たちの上の世代が味わってきた屈辱感や被差別意識は、過去のものにすぎない。むしろ、近年の沖縄ブームや、沖縄出身者の各界での活躍などから、ウチナーンチュとしての自信と誇りこそ感じるものの、一切のコンプレックスとは無縁であるといってよい。