最新記事

教育

高校新科目「歴史総合」をめぐって

2018年8月17日(金)16時20分
苅部 直(東京大学法学部教授)※アステイオン88より転載

もちろん、資本主義の発展や経済のグローバル化が、歴史の動きに大きな影響を与えるのはたしかであろう。だが指導要領案の書きぶりは、もし「国民国家」や「大衆化」も経済的要因を重視して理解するならば、人間生活のほかの諸要素をすべて経済に従属したものと考える、完璧な経済決定史観になってしまう。なぜか明治維新が大好きな唯物史観の持ち主。そんなキャラクターが、文書の背後から浮かびあがってくるような気もする。

「内容の取扱い」について配慮すべき事項のうちには、「客観的かつ公正な資料に基づいて」という一節がある。だがこれは、言葉がぎこちないだけで、実際には「より信頼できる資料に基づいて」というニュアンスを示しているのだと思いたい。歴史のまっとうな学習においては、ある資料の内容が「客観的」か否かについての見解が、常にさまざまな批判にさらされるはずである。複数の情報源のなかから、より信頼できるものを吟味し選びだす作業が、歴史を通じてのメディア・リテラシーの教育という性格ももつだろう。

この「歴史総合」指導要領案の全体においては、過去の歴史についての知識を身につけるだけではなく、「多面的・多角的な考察」や「よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に追究、解決しようとする態度を養う」ことが、目標として強調されている。そうであるならば、一つの事件について異なる内容を示す複数の資料を生徒に見せ、どちらがより信頼性が高いと判断できるか、その根拠は何か、といった議論を教室で展開することも重要になるはずである。選択課目の「日本史」「世界史」よりも内容が絞られているから、そうした余裕もできるだろう。

歴史を動かすものはひたすら経済であって、政治の活動や思想・文化が及ぼす影響力はそれよりもずっと低いと宣言するかのような、この指導要領案の構成には大きな疑問を抱かざるをえない。しかし、これを極論に近い「一つの歴史観」として紹介し、その妥当性をめぐって高校生に議論させるための素材にすることも可能だろう。そう考えるなら、大胆な授業運営のためのプランとして、それなりの意味をもっているのかもしれない。

[注]
(1) http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo...

苅部 直(Tadashi Karube)
1965年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。専門は日本政治思想史。著書に『光の領国 和辻哲郎』(岩波現代文庫)、『丸山眞男』(岩波新書、サントリー学芸賞)、『鏡のなかの薄明』(幻戯書房、毎日書評賞)、『「維新革命」への道』(新潮選書)、『日本思想史への道案内』(NTT出版)など。

当記事は「アステイオン88」からの転載記事です。
asteionlogo200.jpg



アステイオン88
 特集「リベラルな国際秩序の終わり?」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス

20250121issue_cover150.png
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年1月21日号(1月15日発売)は「トランプ新政権ガイド」特集。1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響を読む


※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:もう賄賂は払わない、アサド政権崩壊で夢と

ワールド

アングル:政治的権利に目覚めるアフリカの若者、デジ

ワールド

尹大統領の逮捕状発付、韓国地裁 本格捜査へ

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 7
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 8
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 9
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 10
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中