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高校新科目「歴史総合」をめぐって

もちろん、資本主義の発展や経済のグローバル化が、歴史の動きに大きな影響を与えるのはたしかであろう。だが指導要領案の書きぶりは、もし「国民国家」や「大衆化」も経済的要因を重視して理解するならば、人間生活のほかの諸要素をすべて経済に従属したものと考える、完璧な経済決定史観になってしまう。なぜか明治維新が大好きな唯物史観の持ち主。そんなキャラクターが、文書の背後から浮かびあがってくるような気もする。

「内容の取扱い」について配慮すべき事項のうちには、「客観的かつ公正な資料に基づいて」という一節がある。だがこれは、言葉がぎこちないだけで、実際には「より信頼できる資料に基づいて」というニュアンスを示しているのだと思いたい。歴史のまっとうな学習においては、ある資料の内容が「客観的」か否かについての見解が、常にさまざまな批判にさらされるはずである。複数の情報源のなかから、より信頼できるものを吟味し選びだす作業が、歴史を通じてのメディア・リテラシーの教育という性格ももつだろう。

この「歴史総合」指導要領案の全体においては、過去の歴史についての知識を身につけるだけではなく、「多面的・多角的な考察」や「よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に追究、解決しようとする態度を養う」ことが、目標として強調されている。そうであるならば、一つの事件について異なる内容を示す複数の資料を生徒に見せ、どちらがより信頼性が高いと判断できるか、その根拠は何か、といった議論を教室で展開することも重要になるはずである。選択課目の「日本史」「世界史」よりも内容が絞られているから、そうした余裕もできるだろう。

歴史を動かすものはひたすら経済であって、政治の活動や思想・文化が及ぼす影響力はそれよりもずっと低いと宣言するかのような、この指導要領案の構成には大きな疑問を抱かざるをえない。しかし、これを極論に近い「一つの歴史観」として紹介し、その妥当性をめぐって高校生に議論させるための素材にすることも可能だろう。そう考えるなら、大胆な授業運営のためのプランとして、それなりの意味をもっているのかもしれない。

[注]
(1) http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo...

苅部 直(Tadashi Karube)
1965年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。専門は日本政治思想史。著書に『光の領国 和辻哲郎』(岩波現代文庫)、『丸山眞男』(岩波新書、サントリー学芸賞)、『鏡のなかの薄明』(幻戯書房、毎日書評賞)、『「維新革命」への道』(新潮選書)、『日本思想史への道案内』(NTT出版)など。

当記事は「アステイオン88」からの転載記事です。
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