岡山・真備町襲った洪水 堤防決壊の危険は住民に長年の懸念だった
岡山県議会議長を勤める高橋戒隆氏は、河川工事が遅れた背景には、予算の縮小もあると指摘した。真備町で育った高橋氏は長年、洪水対策の重要性を訴えてきた。ロイターの取材に対し「自分が国を動かせなかったという無力感がある。住民の方々に対して申し訳ない。何とか間に合ったら、こんなことになっていなかったのに」と声を詰まらせた。
石井啓一国土交通相は13日の会見で、今回の豪雨で倉敷市に大きな被害が出たのは、与党の政策が間違っていたためで「人的災害」だったのではないかとの質問に、直接答えることはしなかった。
菅義偉官房長官は、12日の会見で「このような豪雨による被害を少しでも減らすために政府がどのようなことを行うことが必要なのか、改めて検討する必要がある」との認識を示した。
<最初の計画から数十年も経過>
真備町の住民の多くは、大きな水害のあった1972年と76年以降に、2つの川にはさまれたこの地域に引っ越してきた。お年寄りは洪水のリスクを認識していたが、床上までの浸水は経験しなかったと言う。真備町は、倉敷市中心部に通う「新住民」のベッドタウンとして人口が増加した。
倉敷市の河川整備計画は、過去50年にわたり様々な経緯で変遷してきた。岡山河川事務所によると、最初の計画は1968年まで遡る。
小田川と高梁川の合流地点付近で、治水のために貯水池をバイパスとし、同時に堰を作って用水を確保する計画だった。
しかし、地元の一部の反対などがあり計画は進まず、2002年までには、用水の需要が減ったことから、いったんこの事業は中止となった。
過去20年間、全国的に公共事業への支出は大幅に削減されてきた。1999年度のピーク時には14.9兆円だった公共事業費は11年度に5.3兆円まで減少し、今年度は6兆円だった。
2014年にようやく280億円の予算がつけられた小田川と高梁川のバイパス事業は、完成まで10年が予定され、今年の秋から工事に入る予定だった。