米朝首脳会談で戦争のリスクは高まった
しゃんしゃん大会で終わった米朝首脳会談は、いっそないほうが平和だった? Jonathan Ernst-REUTERS
<「どんな対話でも、対話がないよりはよかったまし」と評価されるトランプ=金正恩の会談だが、下手な対話はかえって危険だ>
ドナルド・トランプ米大統領と金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が6月12日に合意した米朝共同声明によって、北朝鮮が実際に核を完全に放棄すると見る専門家は少ない。しかし同時に彼らは、この合意を評価してもいる。少なくとも米朝戦争は避けられた、と思うからだ。だが、現実は正反対。米朝首脳の性急で無意味なゼスチャーで、戦争は以前にも増して現実味を帯びきた。
共同声明は概ね決まり文句を並べただけだ(「アメリカと北朝鮮は平和と繁栄を望む双方の国民の意思に従い、新たな米朝関係を築くと約束する」など)。多少なりとも意味がありそうな項目は、「北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化に向けて努力すると約束する」くらいのものだろう。
ここには非核化のための具体的な道筋も、強制メカニズムも、検証手続きも一切書かれていない。皮肉にもトランプが「極めて不十分」と言うイラン核合意のほうが、はるかに詳細な手続きを定めている。米国務省が長年主張してきた「完全かつ検証可能で不可逆的な核放棄(CVID)」は宙に浮いた格好だ。
そのため核廃棄に向けた一歩としてこの声明を評価する専門家はまずいない。米情報機関は既に北朝鮮が核兵器を隠蔽し、保有数をごまかし、核施設を温存しようとしている兆候を察知しているが、それも驚くには当たらない。朝鮮半島の非核化の失敗の歴史を知る人にとっては、今さらの感がある。
非現実的な約束がもたらすもの
それでもなお、共同声明を評価する声は多い。リベラル派の政治アナリスト、ビル・シャーは「米朝外交にチャンスを与えよ」と訴え、ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、ニコラス・クリストフは、トランプの平和への序章を批判する民主党に苦言を呈し、アトランティック誌のユーリ・フリードマンは「戦争をするぞと威嚇し合ってきた2国が今は話し合っている」ことに希望を見いだした。
こうした主張の欠点は、「どんな対話であれ、対話がないよりまし」という前提に立っていることだ。言い換えれば、話し合いさえすれば戦争は避けられる、という思い込みである。それが間違っていたら? 下手な対話をするくらいなら、対話などないほうがましだとしたら? 下手な対話は戦争回避に役立つどころか、逆に戦争を招くかもしれないのだ。
なぜそう言えるのか。例えばA がBに対し、非現実的で、実行される保証のない約束をしたとしよう。A が約束してくれたことで、Bは非現実的な期待を膨らませる。Aが約束を実行しなければ、Bは期待を裏切られたと思い、猛烈に怒る。このときAとBの関係は話し合い以前よりも悪化している。AもBも「外交上の努力をしたが、無駄だった」と思っているため、軍事衝突のリスクは以前より大きくなる。