国境の川から北朝鮮を逃げ出した脱北者たち それぞれの事情
金日成主席の教え
イ・ミンボクさん(60)は、北朝鮮の農業科学院の研究員だった。イさんが、最初に脱北を試みて失敗したのは1990年のこと。その後、1991年6月に脱北に成功し、1995年に韓国にたどり着いた。家族が送ってくれたという日記を見せてくれた。
「私には研究者気質なところがある。金日成主席の教えは、日記をつけることをすすめている。北朝鮮では誰もが金日成主席の教えに忠実に従わなければならない。従って、私も日記をつけていた。
ここでは金日成主席は悪者だが、北朝鮮では全てを超越した存在だ。彼はよく勉強し、人々を目標に向かって導いたと教わった。私はその教えに従って生きていた。日記を書いたのは、指導者への忠誠心からだ。それが私たちのイデオロギーであり、私はそれを厳格に守っていた。
考え方の異なる人など、誰もいなかった。
日記は、韓国に到着して10年たったころに手元に届いた。私は当時、北朝鮮の家族に送金を続けており、家族が日記を送ってくれた。日記には、不満は何も書かなかった。もし書いていたら、大問題になっていただろう。
日記は、北朝鮮時代の私の人生の記録だ。これらを題材に本を書くことを考えている。南北統一が実現したときに、いかに北朝鮮人の思考を変えるかという本だ。私の日記を見れば、北朝鮮人の考え方や、その構造が分かる。これを証拠として、テキストにすべきだ。
語るだけでは、伝わらない」
だまされて韓国に
キム・リョンヒさん(49)は、平壌出身。脱北する考えはまったくなかった。2011年に肝臓治療のため中国に渡ろうとしたが、ブローカーにだまされて韓国に連れてこられたという。北朝鮮に帰国したいが、それは韓国では違法行為になる。
「娘に会えないことより、両親に会えないことの方がつらい。両親は私の全てだった。最初の何年かは、両親のことを考えるたびに、息が苦しくなった。
弟が、両親と平壌で一緒に住んでいる。母は片方の目が見えない。帰国がかなう前に両親が死んでしまうことを一番恐れている。
娘とは、手紙や写真をやり取りしている。中国に住むいとこが仲介してくれる。娘の名前は、イ・リョングム。1993年2月15日生まれ。ここに来て一緒に生活してほしいとは思わない。
娘は小さいとき、テコンドーを習っていた。対韓国の諜報活動に加わりたいと言っていた。恐れを知らない子だった。テコンドーを習ったのも、韓国に対する諜報活動に加わりたかったからだ。
だから、娘が料理人になったと聞いた時は本当に驚いた。送ってくれたビデオの中で、理由を説明してくれた。私が去った後、彼女は平壌の父親の元に身を寄せて、父親のために料理をしていた。家庭で私の役割を穴埋めするために、シェフになろうと決めたと言っていた。
それを聞いて、悲しかった」
(翻訳:山口香子、編集:伊藤典子)
[ソウル 12日 ロイター]