南アフリカのケースに学ぶ核放棄の条件
一方、アパルトヘイトに対する国内外の圧力は強まり、制裁は経済に大きな痛みを与えていた。この頃までに、核開発計画は国際関係改善の重荷と見なされるようになっていた。
89年、P・W・ボタに代わって大統領に就任したF・W・デクラークは、すぐに対外関係の改善を目指す2つの措置を取った。1つは反アパルトヘイト闘争の象徴だったANC幹部ネルソン・マンデラの釈放。もう1つは核兵器を廃棄して核拡散防止条約(NPT)に加盟することだった。
実際にNPTへの加盟が実現したのは91年。93年には、IAEA(国際原子力機関)が核開発計画の廃棄を正式に認定した。
南アフリカの例が示唆するのは、核兵器の廃棄に対する性急で過大な期待は持つべきではないということだ。制裁に一定の効果があったとしても、南アフリカが核開発計画を放棄するまで10年以上かかっている。70年代後半に国際社会が推し進めた南アフリカの孤立化と禁輸は、むしろ核開発を加速させた。
北朝鮮が対話の姿勢を示したのは朗報だが、安易な期待は禁物だ。ある国家が核兵器を放棄するとしたら、それは政権が代わるときか、世界が変わるときのどちらかしかない。
<本誌2018年3月20日号掲載>
© 2018, Slate
2024年11月26日号(11月19日発売)は「超解説 トランプ2.0」特集。電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること。[PLUS]驚きの閣僚リスト/分野別米投資ガイド
※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら