マララ「最高に嬉しい」 銃撃後6年ぶりにパキスタンへ帰国
2012年10月、覆面の男がマララさんの通学バスに乗り込み、彼女を特定すると、銃で撃った。タリバンは後に、リベラル主義を広めようとしたため襲撃したとの声明を出した。
治療のため英国に移されたマララさんは、それ以後国外に留まり、ベストセラーになった共著「わたしはマララ」を執筆したり、世界で女子教育の推進活動を支援する基金を立ち上げたりしている。
2014年、インドの活動家とともに、マララさんはノーベル平和賞を受賞した。
パキスタンでは称賛と批判
マララさんは、世界で最も名前の知られたパキスタン人かもしれないが、祖国では多くの人に愛される一方で、批判も浴びるなど、評価が分かれている。
パキスタンの一部の私立学校グループは、30日を「わたしはマララではない」の日にすると宣言。広報担当者は、マララさんが抱く「反イスラム、反パキスタンの考え方」に対するものだと説明した。
こうした反応に、マララさんは困惑の様子だ。
「私の発言のどの辺が、反パキスタンや反イスラムになるのか、分からない。イスラム教は私に、平和の大切さを教えてくれた。教育の大切さを教えてくれた。イスラム教の聖典コーランの最初の言葉は、イクラという言葉で、読みなさい、という意味だ」
29日に行われたアバシ首相との会談の議題は、政府が公約に掲げる教育だった。パキスタン政府と軍は、今回のマララさんの一時帰国の計画を支援し、警備を提供した。
「われわれは教育について話した。アバシ首相のこれまでの取り組みに感謝しているが、まだやらなければいけないことが沢山ある。政府は国内総生産(GDP)の4%を教育に充てるとしているが、まだ2.7%までしか増えていない」と、マララさんは話した。
パキスタン首相や、各国指導者との面会は、スワト渓谷の女子学生から見れば遠く離れた世界の出来事かもしれない。だがマララさんは、オックスフォード大で学ぶことなどは、長年の夢だったと言う。
「私が最初考えていたのは、勉強を続け、学校に行けない女の子たちのために声を上げ続け、高校を卒業したらいつかオックスフォードに出願しようと思っていた」と、彼女は振り返った。
「だから、最初から考えていたことだ。ただ、あの襲撃が起きて英国に移ることになるとは分からなかった。それでも私はパキスタンを見続け、女子教育のためにできるこをすべて続けていきたいと思う」
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