「歴史」とは、「記憶」とは何か(コロンビア大学特別講義・後編)
【ニック】 ヒロシマ?
【スペンサー】 敗北によって生まれた平和主義?
【グラック教授】 それはヒロシマから生まれたことで、それも1つの筋書きです。ですが、1945年の終戦直後に生まれた単純な筋書きがあったでしょう。国民が、自分たちの指導者のせいで被害者になった、というストーリーです。日本語では「巻き込まれた」と言います。悲劇的な戦争に、巻き込まれたと。国民を被害者とし、責任から解放する物語です。この筋書きは、指導者の数がひと握りだけだったことで成り立ちました。そういう国はたくさんあって、ドイツもその1つです。ドイツにも戦後、ひと握りの加害者と、国民全体が被害者、という構図が生まれました。ほかの国では、国民全体が「抵抗者」になることもありますね。
さて、これらが戦争の物語のもともとの筋書きです。戦争の物語がどう作られたかを理解することは、それぞれの国で共通の記憶が変わってきたこと、もしくは変わらなかったことを理解する上で重要です。次回は、(加害者と被害者がはっきりとしている)白黒物語がどう作られるのか、なぜ国によって異なるのか、そしてなぜその物語が語られ続けているのかについてお話しします。白黒物語の耐久力には驚くべきものがあります。では、今日の内容について質問がある人は?
【ヒョンスー】 白黒物語について、その日本バージョンについてですが、私にはそれが何なのか、靖国神社の隣にある遊就館を訪れるとよく分かります。英雄のような日本が、東南アジアを西欧による支配から解放したと。一方で、日本が被害者になるという構図の中では、英雄というのは誰なのでしょうか。
【グラック教授】 そうなのです。遊就館というのは、靖国神社の境内にある愛国主義的な施設で、数年前に改装されました。伝えているのは軍部の視点や、カミカゼなど犠牲になった英雄たちの視点です。これらは日本で語られる戦争のメインストーリー、つまり被害者としての国民の記憶とは違います。そうなると次の質問は、日本でナショナリズムの高まりが見られる今、こうした物語は以前よりも主要な位置を占めそうか、ということです。日本では、国民は指導者たちの犠牲になった、という1945年生まれの物語が(変わったところもありますが)ずっと戦争の記憶を支配してきました。
共通の記憶は、常にポジティブな方向に変わるわけではありません。これについては最後の回でお話ししますが、ナショナリズムの風が吹き荒れるなか、韓国、日本、中国がどこに向かうか分からないからです。重要なのは、実際には一国の中でさえ1つのストーリーしかない、というのはあり得ないということです。それぞれの経験が、違い過ぎるのですから。唯一の国民の物語、というのはあり得ないのです。
これは遊就館についての質問への答えでもありますが、終戦直後に作られた戦争の物語の何が危ういかというと、それはたった一つの物語しかなかったということです。国民の物語でさえ、国内の全ての人々について伝えるものではなかった。それは、彼らにとってフェアではないでしょう。では、どうすればより複雑で正確な第二次世界大戦についての共通の記憶を持つことができるのでしょうか。国民の物語であり、かつ国境を超える物語。考えなければならないことはたくさんありますね。時間が来てしまいました。最後に皆さんに感謝したいと思います。記憶についての素晴らしい対話を、ありがとうございました。
※コロンビア大学特別講義・前編(歴史問題はなぜ解決しないか)はこちら
※特別講義・解説(歴史と向き合わずに和解はできるのか)はこちら
ニューズウィーク日本版2017年12月12日号
「コロンビア大学特別講義 第1回 戦争の物語」
CCCメディアハウス
※本記事はこの特集号からの転載です。
ニューズウィーク日本版2018年3月20日号
「コロンビア大学特別講義 第2回 戦争の記憶」
CCCメディアハウス
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