セックスドールに中国男性は夢中
取材した会社ヒットドールの経営者ビンセント・ホーも、内需よりもむしろ輸出に期待していた。中国国内で独身男性が急増しているのは事実だが、「30歳の独身男なら人形は買わない。生身の女を買うよ」。ホーはそう言っていた。
とはいえ、当時からセックス玩具はよく売れていた。地方から都会に単身で出稼ぎに来る男性がたくさんいたから、需要は確実にあった。
学生たちが開発に協力
繁華街の街角にはセックス玩具の店があった。人工女性器などの商品が堂々と並び、男たちはネット上で、それら器具の使い勝手をオープンに議論していた。欧米社会に比べて、そうしたことに「後ろめたさ」を感じる空気はないようだった。
そうした需要に加え、中国には低コストの製造技術があるから、今でこそニッチなセックスドールの市場も大化けする可能性がある。13年当時、筆者はそんなことを考えていた。
ジーンズにレザージャケットで決めたホーは、50代初めの感じのいい人物だった。彼の会社はもともと輸出用のオフィス家具を製造していたが、コスト高で業績が悪化し、新製品に方向転換したのだった。
工場は小さく、カスタマイズした等身大の人形を月に10~12体ほど、ひつぎのような木箱に入れて出荷していた。ホーは工場内を案内してくれ、表情ひとつ変えずにゴム製の乳首をつまんだり、シリコン製の両脚を押し広げたりしてみせた。
「うちの乳首はとても頑丈だ」と言って、ホーは力いっぱい引っ張った。「人間のなら、こんな扱いには耐えられない」
この取材時点では、高級セックスドールといえばすべて外国製。当時の中国製は安物で、膨らませて使う持ち運び用の人形が主流だった。一方、米カリフォルニア州を拠点とするアビス・クリエーションズなどの有力メーカーは、多少の声を出せて手触りの温かい、しかもカスタマイズできるモデルを1体~1万ドルで販売していた。ホーはこれらをコピーし、安い価格で売り出そうと考えた。
ホーの会社は3年間、広州大学地区にある施設で試作品の開発を続けた。使い心地のテストには周辺の学生たちを動員した。驚いたことに、学生たちは互いに仲良くなり、頻繁に集まって食事やカラオケを楽しむようになり、よく知られた日本語を借りて「かわいいクラブ」というグループ名も付けていた。