イラン反政府デモが問う、派閥対立の深い罪
全ての派閥は手法の面で異論はあっても、理論上はイランの政治システムの保護と維持のため一致団結している。とはいえ現実主義者や改革派は、より開かれた民間部門の創出をうたう経済自由化政策を支持。強硬派に言わせれば、そんな政策は革命の価値観(と自分たちの立場)を損なうものだ。
ロウハニは汚職を政治問題化する姿勢を打ち出し、イラン革命防衛隊がビジネス分野に持つ権益を切り崩そうとしてきた。これも強硬派にとっては、自らの経済的利益に対する脅威だ。
こうした事情を背景にして、今回の反政府デモは発生した。その始まりは12月28日にイラン第2の都市マシャドで起きた抗議行動。首謀者は、ロウハニの経済政策を敵視する同地の強硬派政治家だったとの報道もある。真偽はともかく、デモはあっという間に国内各地の市町村へ拡大していった。
デモ発生前、政府が発表した18年度予算案は、支出削減や汚職批判で国民の大きな関心を集めている。外国投資の呼び込みを図るロウハニは、補助金支出の削減や燃料価格の引き上げを決定。これが民衆の不満を強めた可能性もある。
今回の一件で見逃してはならないのはアハマディネジャドの存在だ。デモとの関わりは今のところ明らかではないが、革命防衛隊のモハンマド・アリ・ジャファリ司令官は「(抗議行動は)体制の価値観や主義に反することを言うある人物と関連している。この元政府高官の関与について捜査中だ」と語った。
バランスを取り戻せるか
デモへの政府の対応は好意的に言っても弱腰で、上層部内部での政治的対立を反映している。
ロウハニはデモ発生後の数少ない発言で、敵対する強硬派との違いを強調。混乱の根本原因は「より若い世代との乖離」にあると認め、インターネット規制の緩和や政府の透明性実現を呼び掛けた。13年の大統領選以来、主張してきたこれらの改革要求を強硬派に突き付ける政治力と勇気がロウハニにあるか。答えがノーなら、残りの任期はレームダック化するだろう。
指摘しておくべきは、改革派も首尾一貫した対応を見せられないでいることだ。ロウハニ政権の協力者として多くの議席を持つ改革派は、政府を支持する一方、デモ参加者の権利を擁護するという苦しい立場にある。
ハメネイはといえば、いつものように、全ては外国勢力の干渉のせいだと批判する態度に終始している。ハメネイが固持する国家観はもはや、多くの市民にとって意味も価値も持たない。この国のシステムの均衡が崩れた責任は、究極的には最高指導者のハメネイにある。
デモをめぐって分かれる反応はイラン政治の実態を映し出す。イスラム共和国という在り方を団結して支持する建前の裏で、各派閥は自らの権力や立場を保持することにかかりきりだ。
1858年、後に米大統領となるエイブラハム・リンカーンは共和党州大会で「分かれたる家は立つこと能わず」と演説した。同じことが今のイランにも言える。政治エリートと民衆の関係を大きく改善しない限り、イラン政府は先が見えない危険な道のりを歩むことになる。
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[2018年1月23日号掲載]