シルク王ジム・トンプソン失踪の謎解きに終止符? マレーシア共産党による殺害説
ジム・トンプソン氏が失踪当時滞在していたキャメロン・ハイランドはCPMの主要潜伏地域で、月光荘は一時CPMの司令部が置かれていたこともあり、スタッフにはCPMシンパが残っていたという。その関係でCPM側に幹部との面会を求めるジム・トンプソン氏のことが即座に伝わり、人物照会、身辺調査の結果「元米情報機関員」であることが判明したという。
その結果ジム・トンプソン氏は「スパイの可能性がある」としてCPMの監視下に置かれたのち、1人で山中に入ったところを殺害されたというのだ。当時CPMの末端組織と中央組織の連絡は伝令と精度の低い無線しかなく、殺害はCPM本部ではなく、月光荘周辺の末端組織の判断だった可能性がある、と証言を聞いたプロデューサーは記事で推測している。
このCPM元幹部の証言を裏付ける資料も傍証もないとしているが、さらにジム・トンプソン氏と親しかった当時中国で活動していたOSS幹部の息子の証言も記事では明らかにされている。
OSS関係者もCPM犯行説を語っていた
その人物は「しばらくの沈黙の後、50年間誰にも話さなかった父とジムのことを話し始めた」と前置きして当時のタイ政界と父親、ジムの密接な関係を説明した。その中で第2次大戦中、対日レジスタンスの指導者だったという経歴のあるプリーディー首相とは特に親しく、その関係でキャメロン・ハイランドにジム・トンプソン氏が赴きCPM幹部との接触を試みたのではないかとの見方を示したという。プリーディー首相は後タイ政界を追われ中国に亡命する。
そして「父はCPMに殺害されたと話してくれた」とプロデューサーに語ったという。なんの物証もないものの、2人の別々の人物が当時を知る父親から得た証言が共に「マレーシア共産党による殺害」で一致していることから「ジム・トンプソン氏を殺害したのはCPMの可能性が極めて高い」と結論付けている。
このプロデューサーらによるこうした証言をまとめた記録映画「誰がジム・トンプソンを殺したのか」は今年10月に米オレゴン州で初公開され、バンコクでも公開された。
ネーション紙では「もしCPMによる殺害であれば、一切の手掛かりも遺体もその後の捜索で発見できなかったことは納得できる」としており、長年のミステリーに終止符を打つことになりそうな今回の証言のさらなる検証に期待を示している。
[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など
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