米核戦略にICBMは必要? 過去の失敗事例から専門家は疑問の声
瀬戸際からの生還
米国における核ミサイルの歴史は、1950年代にさかのぼる。ロケット製造技術を持たなかった米国は、第2次世界大戦後のドイツで、英国に向けてドイツが発射した「V2ロケット」建造に従事した科学者たちを探し回った。
秘密計画の下で、後に「米国ロケットの父」と呼ばれるベルナー・フォン・ブラウンなどの科学者をドイツから連れ出し、戦争犯罪の訴追から逃れることと引き換えに、米国に手を貸すよう迫った。
1947年には、米国と当時のソビエト連邦が冷戦に突入。かつてナチスのロケット設計を担当していた技術者は、ソ連国民の頭上に核弾頭を降らせるための米長距離ミサイル製造を手助けすることになった。
ゆっくりと計画は始動したが、状況が変わったのは1957年10月4日のことだ。ソ連が、小型衛星「スプートニク」を地球周回軌道に打ち上げ、宇宙開発で米国を凌駕した。米国本土に到達する能力を持つICBMによって衛星が打ち上げられた事実を重視した米国は、ミサイル開発を急ぎ、1959年11月には独自のICBM発射に至った。
爆撃機と比較したICBMの優位性は、30分で目標に到達できるという点だ。欧州内の基地を離陸した爆撃機でも、目標上空に到着するには数時間を要する。
1966年には、発射命令から実際の発射までに必要な時間が、5分に短縮された。これは燃料の変更によるものだ。
それまでは、ICBM発射直前に長時間のプロセスを経て注入される液体燃料が使われていた。だが、固体燃料が発明されたことで問題は解決された。固体燃料はミサイルを製造する際に搭載され、その後数十年にわたって利用可能な状態を保つことができる。
ICBMを懸念する軍事専門家が挙げる理由の1つは、破滅に至りかねない複数回の失敗を、米ロ双方が過去に犯している点だ。
例えば1985年には、200基のICBMをソ連が米国に向けて発射したことを示す核警告が、米戦略軍のコンピューター上に出現。幸いなことに、担当将校がコンピューターに不具合があり、ミサイルは発射されていないことを察知した、とペリー元国防長官は著書「My Journey at the Nuclear Brink(原題)」のなかで回想している。
同じ誤作動が2週間後にも繰り返されたあげく、ようやく問題が回路基板の欠陥にあることが判明したという。
1995年には、当時のロシア大統領ボリス・エリツィン氏が核ミサイルの発射ボタンに手をかけた。米国製とみられるミサイルがノルウェーから発射されたことを探知したからだ。だが、ロシア当局者は、それが核ミサイルではないとギリギリで判断した。
後に、打ち上げられたのが科学研究用の無害なロケットだったことが分かった。ノルウェーは事前に打ち上げの通告を行っていたが、その情報はロシアのレーダー技術者に伝わっていなかった。
(翻訳:エァクレーレン)
[ワシントン 22日 ロイター]
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